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「Café Poulenc」演奏者コメント

❖ピアノを弾くプーランク:《ヴェクサシオン》を背景に
神武夏子(ピアノ)

本アルバム、フランシス・プーランク[1899-1963]の作品が中心になって録音されていますが、なかなか凝った構成をとっています。

プーランク、「フランス6人組」と呼ばれる、詩人ジャン・コクトーの周辺に集まった作曲家の集まりのひとりです。ちょうど20世紀前半に生を送ったとみることができるでしょう。軽妙洒脱でユーモラス、でも宗教的な敬虔さとメランコリーがその裏に貼りついている人物です。アルバムでは、ピアノ曲のみならず、管楽器との絶妙なバランスをとった作品もとりあげられ、「プーランクとピアノ」のありようが立体的に体験できるようになっています。

凝った構成、と先に記しました。それは、ピアノ独奏曲以外も収められているというのみならず、アルバム全体のながれから来ています。つまり、プーランクの作品だけでなく、1曲ではありますが、エリック・サティの作品が、どれもおなじものではありますけれど、4回、登場するのです。サティ、いわば「6人組」の師匠格です。その人物による、プーランクが生まれる「前」に作曲されたと推定される小品が、アルバムの構成を区切ってゆきます。《ヴェクサシオン》です。冒頭と最後を含め、全4回登場する《ヴェクサシオン》。ただプーランクの作品を次々にならべるのではなく、サティを挿入することで、あたかもコンサートの幕間となるかのようです。考えてみれば、そう、《ヴェクサシオン》は、後にサティが「家具の音楽」というBGMの先駆となる音楽を予告さえしていました。

《ヴェクサシオン》はいわくつきの曲です。タイトルの意味は、苛立ち、というような意味。サティ存命中には出版もされていません。1895年頃の作曲といわれていて、小節線もなく、52拍しかない短い曲です。でも、作曲者の指示では840回くりかえすこと、とあるのです。この録音では数回のみですが、もし指示どおりになるとしたらどのくらいかかるか想像してみてください。

第1セクション----仮にこう呼ばせてください----では、《夜想曲》5曲、《メランコリー》、《ノヴレット》第3曲とつづきます。《夜想曲》は全8曲から成り、1930年から38年にかけて作曲されました。第1曲と第8曲とはともにコーダの部分が共通しており、曲集全体をひとつのまとまりとしてとらえられりでしょう。ちなみにこのコーダは、後年のオペラ《カルメル会修道女の対話》で、主役ブランシュのモティーフとなるものです。アルバムでは、タイプの異なった5曲が選ばれ、1曲目と8曲目で、抜粋ながらも、全体の枠をつくるというかたちをとっています。また、第3と第4曲には副題がついています。第3曲は〈マリーヌの鐘〉。マリーヌとはベルギーの町で、カリヨン(組み鐘)をつくる工場があります。第4曲は〈幻の舞踏会〉。エピグラフに作家ジュリアン・グリーンの『幻を追うひと』から一節が引用されています。

中間部で少し激しくなる《メランコリー》、全体としては静かにながれます。1940年、まさに第二次世界大戦が始まり、戦火を意識するがゆえに内省しているかのような音楽です。つづく《ノヴレット》は3曲から成っていますが、ここで演奏されているのは1959年に書かれた第3曲目。スペインの作曲家マヌエル・デ・ファリャの《恋は魔術師》のテーマを借用しています。ノヴレットとは、小さな物語といった意味でしょうか。英語のノヴェル、ドイツ語のノヴェレッテにあたります。

2回目の《ヴェクサシオン》の後、第2セクションとなります。《フルート・ソナタ》、《3つの小品》という、規模の大きな、しかも3つの曲-楽章がセットになった2曲がならびます。前者は、正確には「フルートとピアノのためのソナタ」。けっしてピアノは伴奏ではなく、二つの楽器が一緒になってつくりあげる「ソナタ」の世界です。《カルメル会修道女の対話》の後、1957年に完成。急-緩-急の3楽章。後者は1928年に完成されますが、もともと10年前に作曲された《3つのパストラル》を大きく改変し、〈パストラル〉-〈讃歌〉-〈トッカータ〉としたものです。

つづいて、アンサンブルの編成は《フルート・ソナタ》より大きくなり、オーボエ、バスーンとピアノのための《トリオ》。この作品は1926年の完成作。これも急-緩-急の3楽章。何年も前から、クラリネット、チェロ、ピアノという編成で構想していた作品でしたが、発想を変え、フランス・バロック的なオーボエ、バスーンとしたところ、作曲はスムーズにはこんだといいます。プーランク自身は、第1楽章を「ハイドンのアレグロ」、第3楽章を「サン=サーンスの第2ピアノ協奏曲のスケルツォ」と呼んでいます。第3楽章は先の《ノヴレット第3番》とおなじように、デ・ファリャの《恋は魔術師》のメロディがテーマとして使われているのも特徴的です。何とも楽しい、軽快な音楽で、如何にも第一次・第二次両世界大戦間の空気をもつ作品です。

3度目の《ヴェクサシオン》につづき、最後、第3セクション。短いけれどもプーランクとピアノの関係が垣間見える作品が《即興曲》でしょう。《即興曲》は全部で15曲ありますが、1932年から1959年まで、文字どおり間をおきながら、足掛け27年かかっています。ピアノの前に座り、鍵盤に手を置く。そして即興的に弾いてみる。プーランクのスタイルとは基本的にここから始まっています。《即興曲》のシリーズは、この手のうごきを楽譜に定着したものといえるでしょう。第14曲は、プーランクの評伝を書くことになる批評家アンリ・エルに捧げられ、締めくくりの第15曲は、世界的なシャンソン歌手、エディット・ピアフへのオマージュと副題につけられています。

プーランクの作品がすべて終わった後に、4度目、最後の《ヴェクサシオン》が演奏されます。しかも今度はフェイド・アウトして徐々に音楽が消えてゆきます。まさに、このアルバムの節目に現れ、壁紙のように背景となっているかのように……。

プーランクが生まれる前のサティの曲から、プーランク自身のさまざまなピアノとの関わりが、1枚のCDからいろいろと見えてくる、聞こえてくる。それがこのアルバムのおもしろさであり、聴きごたえにほかならないのではないでしょうか。

❖室内楽の楽しさは、演奏家に贈られた神様の贈りもの
太田茂(ファゴット)

プーランクのトリオは非常に変化に富んでいて、きれいなメロディーの後に悪魔が出で来るような曲想なので、音色をガラリと変えることに腐心しました。オーボエの辻さんも音色が素晴らしいので、我々3人、見事に決まったと思っているのですが(笑)。

基本的には、なっちゃんのインスピレーションが一番大事だから、それを邪魔しないように、彼女が弾きやすいテンポで、ということを意識しました。

本来、この曲はファゴットではなく、バソン(basson)という楽器のためにかかれているんです。ファゴットは楓の木で出来ていますが、バソンは黒檀とか紫檀といったもっと堅い木なので、もう少し金属的で派手な音がします。プーランクのようなフランスものには合っているけれど、現在、全世界的にオーケストラではドイツ・ファゴットが主流。それで、僕はバソンの音の変化も頭に入れながら吹きました。

2楽章のいろんな音の語り合いみたいなのがおもしろいと思います。気も狂わんばかりの歌い方をしたかと思うと小声になったり、すごく優しいかと思うと悪魔が出てくるみたいになったり……。大好きな楽章です。

ファゴット作品はもともと数が少ないので、僕らファゴット奏者にとっては、このトリオは名曲中の名曲。演奏に気合いが入る曲です。ただ、あまりに曲想が起伏に富んでいて表現が多彩だし、テクニック的にも難しい。かといって、超絶技巧だけれども、難しく聞かせちゃいけない。それがかえって難しいのです。プーランク自身の演奏が残っていますが、聴いてみると決して完璧ではない。でも、すごく遊んでいて楽しい。

ある偉大な音楽家の言葉ですが、室内楽の楽しさは、「演奏家に贈られた神様の贈りもの」だと。オーケストラは普通、指揮者の指示通りに演奏しますが、室内楽は演奏家同士の世界。ウィーン・フィルの方たちとも数多く演奏していて思うのは、彼らはステージの上でいつも、遊ぼう、楽しもうと演奏しているということ。事前にかっちり決めずに、とにかくその場で、ここでそれを演るのかっていうぐらい遊ぶ(笑)。この曲も、ピアノとオーボエとファゴットが肌で触れ合って音楽を作り出していくのですが、その音の絡み合いこそ、音楽の醍醐味であり、楽しさだと思います。

ジャズだとアドリブで演奏するところを、我々は音質を変えたりして楽しむわけです。それが許し合える、尊重し合える仲間と演奏できて嬉しかったですね。

(インタビュー・文/稲木紫織)

❖場面転換のおもしろさがプーランクの魅力
辻功(オーボエ)

この作品は、作曲家による細かい指示が大変多いのですが、同じ部分なのにパート譜によって内容が違っていたりするところが多くあります。たとえば、パート譜では64分音符なのに、ピアノ譜では32分音符になっているとか、パート譜ではドのシャ ープで、ピアノ譜ではドのナチュラルであったり、といった具合です。それらをひとつひとつ照らし合わせながら演奏しました。音楽的な流れとしては、ピアノに土台をしっかり作っていただいて、そこにオーボエとファゴットが乗っていく、という方向で演奏しました。

トリオの始まりは、ある意味、深刻な感じですが、テンポが速くなってきたあたりで非常に快活になる。そういう場面転換のおもしろさが特徴的ですね。そして、またゆっくり歌う感じになって、また快活になる。そういう変化がプーランクらしさだと思います。

プーランク自身、性格的にも二面性があったようです。敬虔なカトリック教徒の一面と、ちょっといたずらっぽい一面。つまり、まじめなところと、神武流にいうなら諧謔的なところ。そういう部分を、この曲を初めて演奏し始めた頃は意識して吹いていましたが、回数を多く演奏するうちに、自然に音色を変えられるようになりました。

3楽章は本来、非常に速いテンポですが、ちゃんと表情をつけられるテンポで演奏しようというのは、練習の時から3人で決めていました。指定のテンポだと、とても速くて、ギリギリ演奏できるかな、という感じになります。スリリングにはなるのですが、丁寧な表現にはなりにくいのです。ですから、やや遅めのテンポではあるかもしれませんが、細やかな表情が生きた演奏を目指しました。

プーランクに関して、私自身は、叔母の平尾はるながプーランク協会を設立したものですから、学生の頃から聴いたり演奏する機会が多かったですし、子供の頃からフランスものには親しんでおりました。留学先の北西ドイツ音楽大学でも、卒業試験のメインとしてこの曲を演奏しています。コンサートでも、レパートリーとしてフランスものを中心に演奏する機会が多かったですね。

個人的には、バッハとシューマンが最も好きな作曲家ですが、その次ぐらいにフランス近代ものが好きです。

神武さんのピアノは、明るくて元気がよくて楽しくて……というご本人の人柄が音に出ていて、とてもすばらしいですね。共演できて楽しかったです。

(インタビュー・文/稲木紫織)

❖「フルートソナタ」2楽章での斬新な試み
齋藤歩(フルート)

プーランクのフルートソナタは、最初に聴いた中学2年の時、僕が始めてクラシックで吹きたいと思った思い入れのある曲です。でも、実際に初めて吹いたのは、音高時代ではなく大学1年でした。吹いてわかったのは、それまで1楽章が好きだったのが、自分で吹いてみたら2楽章が本当に気持ちよかったんです。

それからいろんな演奏を聴きましたが、実は僕の演りたい2楽章には出会ったことがなかったんです。どういう音かというと、風景で描写するなら、湖に風が吹くと湖面がさわさわ揺れると思うんですが、その揺れがまったくない音。そういう無機的で寂しい音から始めて、あたたかさのある音色へと変化させていく。最後、またもどってくるんですが、その変化……少しでも風が吹いた、という感じにしたいというのがポイントだったんです。

最初息だけ出して無音からクレシェンドにしていく、ゼロ発進という奏法があるのですが、それができるのはクラリネットとフルートだけなんですよ。管楽器は、音のあるところからしかクレシェンドはできませんから。本来はテンポがもっと速いので、そういう吹き方はできないのですが、自分の中のイメージではどうしてもその音色を作りたかったので、あのテンポ感が必要でした。聴いてくださる方が、どう思われるかはわかりませんが。

プーランクのこの作品は、フルーティストがCDを出すと必ず入っているんじゃないかっていうぐらい、人気の高い曲です。僕は小学6年生でフルートを始めて以来、フルートの透き通った線の細い音色、雑音のない一本の線のような音にこだわり、何かを伝えたい思いで、気持ちをすべて注ぎ込むようにして演奏していますが、初めてこの曲をレコーディングできて嬉しかったです。

神武さんは、生き生きして楽しい人ですね。その場のノリがある。毎回、違う雰囲気で演奏できる方なのでやりやすかったです。お互いに仕掛けあえるというのは……、仕掛けられたらそれを受けて立っていく、というのはおもしろいです。気分はジャズと同じ。決まってるところ以外は、テンポとかもその場でどんどん変える。コンサートで共演した時も楽しかったけれど、レコーディングではテンション高かったですね。お互い、どこかへ行っちゃってたと思います(笑)。

(インタビュー・文/稲木紫織)

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