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2005年の活動記録

❖2005年12月16日(金)
こどもと楽しむピアノ・コンサート

主催:NPO法人こども劇場せたがや/後援:世田谷区教育委員会

  • 第1部
    ぞうのババール・・・フランシス・プーランク(朗読:田中静枝)
  • 第2部
    グノシェンヌ第5番・・・エリック・サティ
    インテルメッツォ、ナゼルの夜会・・・フランシス・プーランク 他

 

❖2005年11月2日(水)
第3回 神武夏子ディナーコンサート「サティとフランス6人組の夕べ」
~ババールで聴く“フランス6人組”

「サティとフランス6人組の夕べ」~ ババールで聴く“フランス6人組”~

プーランク、オネゲル、ミヨーら作曲家集団「フランス6人組」は1920年代、パリで花開き、“祝祭と狂乱の日々”を繰り広げます。

パリで学んだ「フランス6人組」ピアニストである神武夏子が、今回は世界中の子供も大人も魅了された絵本「子象ババール」(ブリュノフ作)にプーランクが曲をつけた作品を中心に、華麗な演奏とトークを披露。

ル・パピヨン・ド・パリならではの通好みのディナーコンサートをお楽しみください。 

今回の主な作品は、プーランクの「子象ババール」。セルジュ・グレベール氏のフランス語による朗読とピアノでお楽しみください。
皆様を1920年代のパリへご案内いたします。

プログラムノート

「グノシエンヌ第5番」サティ Erik Alfred Leslie Satie

サティ Erik Alfred Leslie Satie 1866年3月17日オンフルール生-1925年7月2日パリ死。作曲〔仏〕。はじめ(1883~84)パリ音楽院に学んだが、そこの固苦しい精神や形式に不満を感じ、全く独創的な形式によって、新しい精神の音楽を作曲することに専心した。40歳の時、スコラ・カントールムに入る。サティの影響によつて、フランスには優れた新しい音楽の作曲家が生れた。

第5番「モデレ(中庸の速度で)」。これがいちばん速く、1889年7月8日パリ万国博の刺戟によって作曲されている。甘美なメロディ・ラインのカーヴ。この曲だけ小節線がある。

「3つのラグ・カプリス」ダリウス・ミヨーDarius Milhaud 1892-1974

ダリウス・ミヨーは南仏・エクサンプロヴァンス生まれのユダヤ系フランス人。音楽家の両親と持ち、幼少より音楽を始め、エクスで後にパリ音楽院でヴァイオリンを学ぶ。1917-19年クローデル(外交官作家)の秘書としてブラジルで過ごし、帰途ニューヨークでジャズに触れた事が大きかった。帰国後精力的に活動をするが、生来の大らかさ(歌謡性)、勤勉さからくる職人的作曲技法の高さ、多調整の発見、豊かな対位法、タンゴやジャズの影響による強烈なリズム感等が特徴で、500曲近い魅力的な音楽を量産した。

「3つのラグカプリス」OP.78は1922年6人組時代の若々しく祝祭的な小品集だ。ジャズに熱中し、その技法をとりいれた「世界の創造」の前年。「スカラムーシュ」の余韻もきこえる。

にぎやかに重々しく始まる第一曲。ロマンスと書かれ、大変美しい歌が続く第二曲。

気まぐれに飛び跳ねるような第三曲。

「ラルゲット」 ジェルメンヌ・タイユフエールGermaine Tailleferre 1892-1983

ジェルメンヌ・タイユフエールはパリ生まれ。両親の反対む押して音楽の道に進みパリ音楽院で幾多の賞を得た。「弦楽四重奏」や「2台ピアノの為の野外遊戯」で認められ、紅一点として「6人組」に加わった。結婚後の一時期、作品数は減るが、晩年まで様々な分野に多くの曲を残した。作風は徐々に変わるが、彼女の作品は常に自然で新鮮で女性特有の優しい感性を失わない。近年再評価が進み、知られざる多くの佳作が聴けるだろう。不安な心を映し出すかのような左手の動きとともに奏でられる悲しげな旋律が印象的な曲である。

「間奏曲 変イ長調」フランシス・プーランクFrancis Poulenc 1899-1963

1943年、ドイツ軍占領下で作曲。ショパン風な体しい美しい取で始まり、即興風に色々な歌が挿入された後に、又戻ってくる。初期の乾いたユーモアと逢う、あたたかい曲だ。遠い転調や構成法に彼の避けていたフォーレの面影も感じられる。

6人組に加わって後、名教師ケクランについて本格的に作曲を学ぶ。バレエ「牝鹿」(1924)の成功から、名実共に一流作曲家としての活動と始める。30年代は名歌手ベルナックの伴奏者として活動、歌曲作曲家としてもー層活躍する。又オぺラや宗教曲、晩年は室内楽に次々と傑作を書いた。彼のピアノ曲も小品が多いが味わい深い。

「ぞうのババール」の原作者(スト一リーとイラストレーション)ジャン・ド・ブリュノフは1931年、自分の子供達のためにこの物語を書き始めた。そして、その物語は、当時から既に、フランスの子供達なら誰もがババールを知っているという程にみんなから愛される絵本となった。プーランクはある日、従姉妹の子供達がババールに夢中になっているのと見てこれに音楽をつけることとを思い立った。完成したのは1945年。

物語は…母親に愛されて育ったババールは、ある日、悪い狩人に母親を撃たれてしまいます。懸命に逃げて人間の住む街へ辿り着き、そして、街や人々の様子に驚いたり感心したり、ちょうどそこで親切なおばあさんに出会い、人間の生活をいろいろと体験します。しかし、本当には幸せではありませんでした。なぜなら森での生活が思い出されてしまうのです。そこへ従兄弟のぞう達が訪ねてきてババールは一緒に森へ帰ることを決心します。ちょうどその頃、森では王様が毒キノコに倒れ、ババールは新しい王様に選ばれることになります。そして従姉妹との結婚式。戴冠式が盛大に行われ、一同、楽しくダンス・パーティーへ…

このように、物語はババールの成長が楽しく華やかに描かれている。プーランクは、もともとこの作品がラジオ番組で放送されることを考慮に入れて作曲した。物語の場面と特徴的に捕らえた小品の集まりは、語りと交互に配置されお互いを打ち消すことなく見事な作品に仕上がっている。

プーランクに「ナゼルの夜会」を書かせたのは、リェナール叔母の家の夕べの雰囲気であった。彼は楽譜の冒頭に、「この作品の中心を形作る変奏曲は、作者がピアノの周りに集まった友人たちの肖像を、ナゼルの田舎の長い夕べで即興演奏されたものである。われわれは今日、序奏とフィナーレの間に置かれたそれら(肖像)が、夜、窓の開かれたトゥレーヌの客間での遊びを思い出させるかも知れないと期待している」と書いている。

プーランクは後年、「ナゼルの夜会」が彼の最上のピアノ曲と見られることを嫌ったが、それは厳格に過ぎよう。もちろん彼が<肖像>を<変奏曲>と呼んだのは言葉の乱用で、変奏されるべき一定の主題はない。しかし、そこには多くの愛らしい曲があり、彼が意図したものを表現することに成功している。また、それぞれの変奏は洗練された表題を持ち、それは彼がフランソワ・タープランの子孫であることを思い出させるのに十分である。

前奏曲=プーランク特有の変化に富んだ楽想が、その片鱗を見せる。音楽(3/4拍子)は緩やかな経過旬(4/4拍子)につづく即興演奏を思わせるカデンスで終る。

変奏曲Ⅰ:分別の極み=活気にあふれた陽気な曲で、アタッカで次々つづく。

変奏曲Ⅱ:手の上の心臓=穏やかに始まるが、中間で興奮がたかまる。後半でリズムが6/8と9/8の間で交替するのと、全体に反復音の多いのが特徴である。

変奏曲Ⅲ:落と慎重と=同じ楽想を使って対照的な性格-「磊落」はリズミックに、「慎重」は旋律的に描かれている。

変奏曲Ⅶ:不幸の味=緩やかな物悲しい音楽で、穏やかな旋律は表情を抑えて歌われ、感情は決して晴れあがることがない。

カデンツァ=非常に大げさで、自由な即興演奏を思わせるカデンツア。

フィナーレ=ひどく速いが、きわめて簡潔なフィナーレで、それだけに緩やかな終りは、どこか回顧的なニュアンスをただよわせる。

❖2005年8月6日(日)
「絵本の王様 ぞうのババール世界展」イベント

ぞうのババール:子供も大人も一緒に楽しめる作品
ピアニスト・神武夏子

現在、日本の子供達にも広く愛されているババール。美しく楽しいお話はもちろんのこと、そこに音楽=ピアノが登場し、さらにふくらんだひとつのエンターテイメントとして、子供も大人も楽しんでいただける作品になればと願っております。

 私達は、この絵本「ぞうのババール」にフランシス・プーランクが作曲したピアノ、絵本の朗読、そして絵本原画のスライド映像という親子で楽しめるクラシックコンサートを何度か主催して参りました。2001年6月にNHK-FM「名曲リサイタル・お話しクラシック」ピアノ・神武夏子、語り・古今亭志ん輔氏で放送され、その後、評論社およびNHKソフトウエアの協力によるコンサートには800名を超える親子の方々にご参加いただきました。

今回も大人はもちろん子供たちも是非聴きに来ていただければと思います。

❖2005年5月25日(水)/6月2日(木)
第7回 神武夏子ピアノリサイタル「フランス6人組 豊かな諧謔」
~エリック・サティとジャン・コクトーの美学を映しだした音楽家たち。

名古屋公演(2005年5月25日)

主催・問い合わせ先:書肆 孤島/後援:フランス大使館文化部

東京公演(2005年6月2日)

主催・問い合わせ先:ミモザ/後援:フランス大使館文化部

当日の模様

ビデオ(オネゲル・ポソル王の冒険) へのリンク
ビデオ(プーランク・ババールおばあさんとの別れ) へのリンク
ビデオ(プーランク・ババールの結婚式) へのリンク
ビデオ(プーランクババールダンスパーティー) へのリンク
ビデオ(タイユフェール ロマンス)へのリンク
ビデオ(プーランク即興曲第13番) へのリンク
ビデオ(プーランク即興曲第15番エディットピアフ讃) へのリンク
ビデオ(アンコール挨拶) へのリンク

※ファイル形式はWindows Media Video(WMV)です。

プログラム

  • フランシス・プーランク  (Francis Poulenc) 1899-1963「即興曲より Ⅰ・Ⅱ・Ⅶ・ⅩⅡ・ⅩⅢ・ⅩⅤ 子象ババール(ピアノと朗読)

15曲ある「即興曲」は生涯のいろいろな時期に書かれ、自由で気張らず美しい。華麗で協奏曲のように始まる「第1番」と優しいワルツのような「第2番」は1932年作。端正で人気の高い「第7番」は1933年作だ。「シューベルト讃」と書かれた「第12番」(1958)は遠く、ビートが効いたレントラーの様。「第13番」(1958)美しいイ短調の歌。「第15番」(1959)は「E・ピアフ讃」でシャンソンの様式だが、共に感動的な歌である。

  • ダリウス・ミヨー (Darius Milhaud) 1892-1974「春 Le printemps(1915-20) Ⅰ・Ⅱ」

「春」は、1915~20年に作曲された。初期の作品なので,当時ミヨーが愛好していたドビュッシーをはじめ、フォーレなどの影響が指摘されている。しかし,明らかにミヨー自身の個性は確立されている。

  • アルチュール・オネゲル (Arthur Honegger) 1892-1955「ポソル王の冒険」より

「ポソル王の冒険」が発表されると、批評家の中には非難や攻撃をうけた者もあった。しかし、大衆は喜び、百夜にわねってパリのあち乙ちで上演され、ドイツ語版も出て、彼の死後まで上演は続いたらしい。

トゥリフェム王国のポソル王が、小姓ジリオと恋におちた娘アリースを探すため、美女達のいる後官を捨てて、世界に旅立つ物語である。

ピアノで奏される3つの小品からも魅力的な音楽が十分わかる「ポソル王の別れ」旅立ちに向け美女達に別れを告げる王。「ラバのリトルネロ」。6人組の時代と思わせる楽しく軽妙なアリア。「スペインのチョコレート」ボレロのリズムに華やかな舞曲。

  • ジョルジュ・オーリック (Jeorges Auric)1899-1983「9つの小品」より
  • ルイ・デュレ( Louis Durey)1888-1979「ノクターン」
  • ジェルメンヌ・タイユフェール (Germaine Tailleferre) 1892-1983「ワルツレント」

アンリ・ソゲに捧げられている。小曲だが、タイユフェールらしい美しいワルツ。

❖2005年3月15日(火)
第2回 神武夏子ディナーコンサート「サティとフランス6人組の夕べ」
~クラシックを壊して今の時代へと音楽を紡いだ……

1920年代、パリで花開いたプーランク、オネゲル、ミヨーら作曲家集団「フランス6人組」は、エリック・サティの音楽精神を継ぐ者として新しい芸術のきらめきを放ちます。

パリで学び「フランス6人組」を追求するピアニスト・神武夏子が、日本のフランス料理を牽引する26年の伝統を誇る「ル・パピヨン・ド・パリ」で、新しい試みとして最高の料理と演奏のコラボレーションをお届けします。

今回はクラリネットとのアンサンブルもお楽しみください。

当日の模様

プログラムノート

「ジムノペディ第一番」エリック・サティ(Erik Satie)1866-1925

エリック・サティは、古代ギリシャでおこなわれていたギムノバイディアという祭典を描いた古代ギリシャのつぽからインスピレーションをえて、この曲を書いたといわれる。第1曲は、ゆっくりと苦しみをもって。ゆっくりとしたギリシャのブースふうの独特なくりかえしのリズム、それとともに、デリケートな感性をもったしなやかなメロディーのカーブが浮かびあがる。和音は、メロディーにおもいがけない彩りをそえる。

「グノシエンヌ」第1番、第4番 エリック・サティ(Erik Satie)1866-1925

曲名のグノシエンヌとは、キリス卜教以前から存在していた神秘主義的な宗教団体のひとつグノーシズ派と結びついている曲名ではないかと思う。Gnosisはギリシャ語で〈知識〉を意味することば。この派は信仰とともに知識を重んじ、知をえた者のみが天上の幸福をえると説く。

第2番は「驚きをもって」。 弱強弱のゆったりとスタティックに揺れながら、執拗にくり返えされていくリズムにのって、繊細な感性に満ちた、しなやかなメロディー・ラインがたゆとう。 第4番「ゆっくりと」は、1891年に作曲され《ジムノペディ》のアコードを低音のアルペジオとしてもってきて背景をつくり、そこにひろげられる線的な構造に特色をもつ。

「ジュ・トゥ・ヴー」エリック・サティ(Erik Satie)1866-1925

1900年にアンリ・パコーリの詞に作曲した最も有名なシャンソン。 それの歌詞を省略したピアノ編曲版である。原曲はは当時"スロー・ワルツの女王"といわれた花形シャンソン歌手ポーレット・ダルティ(Paulette Darty)のレパ-トリーとなった。

《ジュ・トゥ・ヴー》Je te Veux は「おまえが欲しい」という意味。

「春 Le printemps(1915-20)」ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud) 1892-1974 

「春」は、1915~20年に作曲された。初期の作品なので,当時ミヨーが愛好していたドビュッシーをはじめ、フォーレなどの影響が指摘されている。しかし,明らかにミヨー自身の個性は確立されている。

「ワルツレント」ジェルメンヌ・タイユフェール (Germaine Tailleferre) 1892-1983

アンリ・ソゲに捧げられている。小曲だが、タイユフェールらしい美しいワルツ。

「ロマンスl(1924)ジェルメンヌ・タイユフェール (Germaine Tailleferre) 1892-1983

ジェルメンヌ・タイユフエール(1892-1983)はパリ生まれ。 両親の反対を押して音楽の道に進みパリ音楽院で幾多の賞を得た。「弦楽四重奏」や「2台ピアノの為の野外遊戯」で認められ、紅一点として「6人組」に加わった。結婚後の一時期、作品数は減るが、晩年まで様々な分野に多くの曲を残した。作風は徐々に変わるが、彼女の作品は常に自然で新鮮で女性特有の優しい感性を失わない。近年再評価が進み、知られざる多くの佳作が聴けるだろう。

「ロマンス」(1924)も珍しい小品。バレエ「鳥商人」や「ピアノ協奏曲」の頃、創作力旺盛な曲。単純で美しいイ調の歌が、展開的中間節の後に戻っでくる。メンデルスゾーン的書法の中でキラリと光る和声法で無駄のない語り口は彼女の魅力だろう。

「ポソル王の冒険」より アルチュール・オネゲル(Arthur Honegger) 1892-1955

「ポソル王の冒険」が発表されると、批評家の中には非難や攻撃をうけた者もあった。しかし、大衆は喜び、百夜にわねってパリのあちこちで上演され、ドイツ語版も出て、彼の死後まで上演は続いたらしい。

トゥリフェム王国のポソル王が、小姓ジリオと恋におちた娘アリースを探すため、美女達のいる後官を捨てて、世界に旅立つ物語である。ピアノで奏される3つの小品からも魅力的な音楽が十分わかる。

「ポソル王の別れ」旅立ちに向け美女達に別れを告げる王。「ラバのリトルネロ」。6人組の時代と思わせる楽しく軽妙なアリア。「スペインのチョコレート」ボレロのリズムに華やかな舞曲。

「クラリネットとピアノのためのソナタ」フランシス・プーランク (Francis Poulenc) 1899-1963

1962年、プーランクが没する1年前の作品で、親しい友だったアルチュール・オネゲル(1829-1955)の思い出に捧げられた。若干の好みの違い(たとえばプーランクはフォーレよりサティをはるかに高く評価し、オネゲルはその逆だった)こそあれ、ふたりの秀抜な作曲家はよく理解しあっていた。プーランクが完成した最後の作品であるこのソナタは、どこまでもプーランクのものだと同時に、オネゲルという、人間的でありすぎたゆえに悲観主義的な魂を抱いていた作曲家の面影をも映している。

第1楽章 アレグロ・トリスタメンテ(もの悲しく)。三部形式で、4分の4拍子をとる主部では、急速な序奏部につづき、付点リズムの主題が繰り返される。プーランクの主題にはしばしばモーツアルトのパロディのように響くものがあるが、この主題も〈ドン・ジョバンニ〉のよく知られたアリアのひとつを連想させる。しかし、このテーマは同時にほかの暗い陰影を持たされている。中間部は4分の3拍子に変わり、静かな哀歌風の旋律が流れる。

第2楽章 ロマンツァ。第1楽章中間部のムードをさらに濃くしたような哀愁と夢幻性をおぴた緩徐楽章。欧文解説者ジュレミー・コックスの指摘によれば、この主題旋律には、1959年に善かれた宗教曲〈グローリア〉の1節との関連が見られる。4分の3拍子。

第3楽章 アレグロ・コン・フォコ(炎をもって一情熱的に)。曲想は再び活発になるが、豊かな情感に裏づけられて、指定通り情熱的にひびく。中間部ではいったん勢いがとまるが、また盛り上がり、そのまま曲を閉じる。4分の4拍子。

「即興曲より」フランシス・プーランク (Francis Poulenc) 1899-1963

15曲ある「即興曲」は生涯のいろいろな時期に書かれ、自由で気張らず美しい。華麗で協奏曲のように始まる「第1番」と優しいワルツのような「第2番」は1932年作。端正で人気の高い「第7番」は1933年作だ。「シューベルト讃」と書かれた「第12番」(1958)は遠く、ビートが効いたレントラーの様。「第13番」(1958)美しいイ短調の歌。「第15番」(1959)は「E・ピアフ讃」でシャンソンの様式だが、共に感動的な歌である。

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