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フランス通信(2000年1月〜2004年10月)

❖2004年10月9日
明日の民主主義は学校から~フレネー教育法の現代的意義

ブッシュ政権の対イラク戦争にノンを突きつけ、「民主主義のための戦争」という嘘に加担しなかったフランスだが、国内ではシラク大統領が再選されて以来のここ二年間、反動的な雰囲気が増している。その一つの例が「六八年たたき」だ。

一九六八年春、学生運動からフランス全土のゼネスト状態にいたったいわゆる「五月革命」は政治的な変革をもたらさなかったが、当時のドゴール政権に象徴される厳格で保守的な家父長的社会構造が弱まるきっかけとなった。以後、性の解放やフェミニズム運動が広まり、宗教をはじめとする社会的抑圧が減ってきたのだ。フランスで中絶が合法化されるのは一九七五年。死刑が廃止され、同性愛が完全に刑罰の対象から外されたのは、ミッテラン大統領の左翼政権が誕生した八一年のことである。ところが、現代フランス社会のさまざまな亀裂や間題の元凶は六八年の解放的エスプリにあるとする主張が、このところ頻繁に聞かれるようになった。とりわけ教育に関して、このバックラッシュは顕著だ。暴力で学校が荒れている、学力が低下した、近頃の若者はまともなフランス語をしやべれない、努力も我慢もできないのに主張ばかりする……これらはすべて、六八年以来の「自由化」や「新しい教育法」によって教師と親の権威が失墜した結果であるという解釈だ。前教育大臣のリュック・フェリ-(「哲学者」だそうな)なども、この「六八年たたき」の音頭をとった。

フランスの学校に足を踏み入れた者なら誰でも、ぞんなことを言う政治家や知識人は現状を少しも把握していないことがわかるはずだ。わたしの恩子が入ったバリの公立小学校では、成績のいい生徒にご褒美として絵刷りカードを与える太古の慣習(第三共和政?)が守られ、「新しい教育法」など気配すら感じられなかった。生徒の自治も存在せず、しかし校内暴力はれっきとしてあった。この強権的で味気ない環境に失望して、息子をより自由な教育法と自治をとり入れた私立校に転校させたほどなのだ。もっとも、場所や校長によってはもっと民主的な学校もあるし、公教育の理念には自主性や批判的精神の養成が誕われていいるのだが、現実には斬新な教育法をとる教師は少数派だ。モンテッソーリやシュタイナー主義の学校は私立で学費がぴどく高いし、日本でも有名なフレネー教育法を実践する学校は全国で三十にもみたない。

聞けば、六八年以降、各地に花咲いた自由な教育の試みは長つづきせず、一部の教師以外は旧式に戻ったという。ブランスをむしばむ「自由な」教育など、懐古趣味者たちの妄想にしかすぎないのである。

思うに、「六八年たたき」は、現実のさまざまな間題を根本的に考えずにすむ安易な逃げ道なのだろう。フランスでは六八年以降、教育の大衆化をはしめ、情報化社会と大衆消費の発展といった大きな社会変化が起こり、学校は移民の子を含む多様な生徒たちを受け入れるようになった。その変化に教育システムも親もうまく適応できずにいるのが現状なのだと思う。そもそも、自宅に本が一冊もなく、常にテレビが流れ、読み書きの苦手な親に放任されている子どもをいくら厳しく罰しても、向学心はわいてこないだろう。機会の平等が嘘であることを肌で感じ、勉学や労働よりテレビのオーディション番組に出る方が成功への近道だと信じる子どもに、あめとムチ方式が通用するだろうか?子どもを囲む社会環境の変化に目を向けず、社会と自らのあり方を間わない教育批判は、無責任なうえに不毛だと思わざるをえない。

そう考えると、フレネー教育法の理念は逆に、社会との関係を根底においている。第一次大戦後、反戦主義教師たちの運動から生まれたこの教育法は、「学校における民主主義によって明日の民主主義を準備する」ことを目標に掲げた。一九六八年につくられた「現代の学校」憲章には、教育とは知識の蓄積や調教ではなく、子どもをより自立した人間に育てることだと記されている。フレネー教育法というと、自由な個別教育というイメージが強いようだが、社会変革をめざした基本の概念にも注目すべきだろう。

❖2004年10月6日
ブッシュにミサイル

「ブッシュにクロワゼットミサイル」。マイケル・ムーア監督が『華氏911』でカンヌ映画祭のバルムドールをとった週明け、フランスの新聞リベラシオン(解放の意)紙の第一面にはこんな見出しが出た。ブッシュ大統領を攻撃するムーア氏に最優秀映画賞を与えた審査委員会の行為を、ミサイルにたとえたのだ。

そのうえ、「クロワゼット」というカンヌの浜辺の呼ぴ名を、「巡航(クロワジエール)ミサイルにかけた酒落になっている。

記事のなかにも、あちこちに酒落がちりばめられている。審査委員長タランティーノ監督の新作「キル・ピル2」をもじって「キル・ブッシュ2」(ブッシュ殺し、その2)。

ムーア監督は昨年、アカデミー賞式典の席でブッシュ批判をしたが、その続編というわけだ。また、「殺伐」という意味のbousherie(ブッシュリ-)を、ブッシュ大統領のスペルを便ってbusherieと表記するなど、芸の細かい言葉遊ぴを連発して、読む者を楽しませてくれる。

実際、リベラシオン紙の見出しのつけ方と、酒落やユーモアのセンスは抜群だ。ときには衝撃的すぎることもあるが、写真のチョイスもうまい。人々の生活場面や社会北背景を浮き上がらせる、いきいきとした文体の書き手が多い点も魅力だ。

諷刺漫画さながら、吹き出してしまいそうなエスプリのきいた政治記事。臨場感あふれた三面記事の筆致(しかも、下卑た覗き見趣味をあおる、ワイドショー的な視点ではない。)無署名で、誰が害いても同じような一新聞定型」を求める日本のシステムからは、こういう個性的でおもしろい報遣記事は生まれない。

もっとも、リベラシオン紙の記事にはいい加滅なところがあると批判する人もいるが、より信頼がおけると定評のあるル・モンド紙にしても、ましてや日本の新聞は、わたしには無味乾燥に感じられてならない。

リベラシオン紙は一九七三年に創刊された。第二次大戦中、同名の新間がレジスタンス運動家によってつくられたが、アルジェリア戦争後廃刊。新たなリベラシオン紙は、七十年代初頭の左翼運動とジャーナリズムの弾圧に慣慨した人々が、大衆のための独立メディアをつくろうとしたものだ。サルトルやフーコーなど当時の左翼知識人も協力し、当初は広告なし、均一給与という「革命的」新聞だった。

以後、時代の変遷とともに粁余曲折をへて、今では広告収入に頼る「ブルジョワ新聞」になった。かつての過激な反体制メディアの勢いはなくなったが、政治や社会に対する批判の姿勢はまだ残っている。たとえば、ホモセクシュアルや非合法外国人、失業者などの主張を大きくとりありたり超辛日の痛快なコラムが載ったり……。リベラシオン紙独特の、体制からすれた批判精神と色気のあるユーモアは、この国のぴとつの対抗文化を体現している。

❖2000年1月2日
変わるフランス 2「ドーピングとドラッグ」

トゥール・ド・フランスは,ヨーロッパ中のサイクリング・ファンをわかせる自転車レースである。アルプスとビレネーの二つの山脈を越え,フランスー周(と周辺の国々)を走りぬけるこのレースの最中は,駅やカフェに置かれたテレビの前にも大勢人だかりができる。

ところが昨年の夏,レースが始まる直前に,サイクリングのみならずスポーツ界を揺り動かす大事件が起きた。人気選手をかかえた優勝候補チームの介添えが,大量のドービング用薬物を運搬中に,ベルギー国境で捕まったのだ。取り調べが進むうちに,はじめはしらを切っていたチームのスポーツディレクターや医者もドーピング(フランス語でドパージュdopageという)の事実を自供し,そのチームはレースから除外された。さらに,そのチームにかぎらず,ほとんどすべてのサイクリング選手が薬物を使用している業界の実体が浮かび上がり,国民に大きなショックを与えた。ドパージユは,スポーツ界では「公然の秘密」(secret dePolichinelle)なのだという。

この事件の後,青少年・スポーツ省の要請で,サイクリング選手200人に対して健康調査が行われた。その結果選手の実に9割が「異常」をきたしていることがわかったのである。異常は主に鉄分の遇剰で,これはEPO(赤血球を増やして筋肉の耐久力を強化する薬)と鉄分の注入によるものだという。なるほど,ポパイは鉄分の多いほうれん草を食べて筋肉隆々となる。ところが、鉄分はとりすぎると肝臓と膵臓に障害を引き起こし,肝硬変や病になる危険性も高いのだそうだ。また,副腎皮質ホルモンなどのとりすぎによる新陳代謝の異常も多く見られた。調査を受けたスポーツ選手の6割が、「科学的調査を必要とする重大な健康決態にある」という,ゆゆしき現状・が明るみに出たのだ。EPOは血液検査にも尿検査にもあらわれないため,特にサイクリング,陸上,スキーの選手が濫用する薬なのだそうだ。

しかし、現代のヒーローとなって莫大なギャラを稼げても,薬の奴隷と化して健康を犠牲にしなくてはならないのなら,スポーツ選手も古代ローマの剣闘士とさして変わらない。スポーツが商業資本と結びついて見世物化するにつれ,ドパージュを容認する風潮が蔓延している。フランス青少年・スポーツ省のビュフェ大臣が,業界の風潮に逆らって勇敢にもドパージュ撲滅に乗り出したのは,注目に値する。

この騒ぎでふと感じたのは,フランス人は薬好き(世界一薬の消費量が多い)のせいか,ドパージユが悪いという認識があまりなかったのではないかということだ。「あんな急な坂をあのスビードでのぼるんだ,何もとらなかったら勝てやしないよ」というファンの反応もあったほど。精神安定剤や精神強壮剤をヴィタミン剤の感覚で日常的に飲む人にとっては,医学的効能をうたったドパージュの薬物は「いい薬」に思えるのだろうか?

一方,ドラッグ(麻薬drogue)に対しては容赦なく「悪」のレッテルが貼られる。フランスはヨーロッパで最も麻薬に関する法律が厳しく,オランダやスペインでは合法のマリファナを所持しているだけで罪になる(といっても,実際には大勢の人が愛用しているのだが)。.また,イギリスでは町医者でも与える鎮痛用のモルヒネを,フランスの医者は容易に使わない。依存をひきおこすドラッグは「悪」だから与えないというのが,フランスの麻薬治療の伝統だからだという。しかし,そのために麻薬中毒者へのエイズ予防対策(注射器・針の自由販売と無料交換,代用薬の便用)が大幅に遅れ,ただちに対策をとったイギリスやオランダより,はるかに多くの人が感染してしまった。

それに,厳しい法律は麻薬中毒者の急増を防ぐことはできなかった。こうした事清から,ドラッグについての考え方を改めるべきだという意見が強くなってきた。ドパージュの薬物も精神強壮剤も酒も煙草も,依存をもたらすという意味においてはドラッグなの。

今年出版された「ドラッグの危険性」の著者,ロック教授は,非合法の麻薬よりも合法の煙草やアルコールによる死者の方がずっと多いこと,とりわけ大麻は依存性も副作用も軽い点を指摘した。この本の前書きでクシュネール健康大臣は,軽いドラッグについては将来,「警告」や「罰金」といった対処に変えたいと述べている。フランスには「大麻の合法化を求める会」もあり,緑の党なども合法化を唱えている。だが政府は,合法化は過激すぎて無理だと判断したようだ。痛みを和らげたりいい気分にさせたりするドラッグは,退廃的で許せないと感じる堅物の反快楽派もまだ多いからだ。

さて,麻薬中毒のように何かに溺れることを英語でaddictedというが,フランス語でこれに当たる言葉はaccro(etre accrocheから)である。文字どおり「くっついて離れられない」決態をさすわけだ。

「お宅いつも電話中だけれど,インターネットのせい?」「そう,マックスったら完全に中毒なのよ!

ちなみに禁断決態は,en(etat de)manqueという。

❖2000年1月1日
変わるフランス 1「バスケットシューズをはいた首相」

パリの街を歩いていて,この頃とみ に目につくようになったものが二つある。一つはローラースケート。従来のものに加え,車輪が一列に並んだブレードが最近は人気がある。フランスではこれをRollers(フランス語式に「ロレール」と発音)とよぶ。子どもや若者だけでなく,男女を間わずおとなの利用者も多い。ひょいひょいと歩道を軽快に駆けぬけていくのを見ると,実に気持ちよさそうだが,パリの路上は犬の糞にまみれているので,避けるのにけっこう神経を使っているのかもしれない。

もう一つの目立った現象も,足もとに関係している。いえいえ,犬の糞を避けるためにいつも足もとを見ているわけではありませんよ。フランス人はいったいに靴におしやれなので,良質のエレガントな靴でしやんと街を行く人を見るのは,なかなか楽しいものなのだ。ところが,近頃の若いジェネレーションは,靴の美学などにはまったく興味を抱かなくなったらしい。いつの頃からか巷には,ぼてっと足を包むどう見ても美しいとはいえないスポーツシューズが溢れるようになった。流行に飛びつくのも,それがすたるのもはやい日本では,今ざらブランドもののスポーツシューズでもなかろうが,ご存知のように,フランスはアメリカ文化の覇権に対する抵抗がとても強い国だ。ファーストフードもはじめのうちは普及にずいぶん手こずったし,パリ郊外にディズニーランドをつくるにあたっても大反対が起きた。アメリカでジョギングがはやり出した頃,歩きやすいジョギングシユーズで通勤する女性がいるという話を聞いたパリジェンヌは「あんな醜いもの,死んだって履けないわ」と,顔をしかめたものである。もっとも,95年の冬に公共交通機関の大ストが3週間もつづき,何時問も歩いて通勤しなければならなくなったときには,さすがのパリジェンヌの中にも,スポーツシユーズの恩恵を求めた人が続出したというが。しかし,今や街角にはカラフルなファーストフードの店が続々と登場し,アメリカ製のスポーツシューズがフランスの地を闊歩するようになった。

このアメリカ化の促進に貢献しているのは,主に十代の少年少女たちだ。ヒッピーやパンクなど,フランスの若者はこれまでも英米文化に敏感だった。70年代以降はジーンズにブルゾン(ジャンパー)が,最もポピユラーな著者のスタイルとして定着した。フランスでは年に4千万本近くのジーンズが売れており,幼児から老年まで広く愛される普遍的な商品となったのだ。ところが,このところ十代の若者たちがあまりジーンズを買わなくなったという。これまで2割近くを占めていた15~19歳のシェアが,昨年は13%強に落ちた。いちばん人気のあるアメリカの某ブランドは,フランス市場で10%以上のシェアを誇っていたが,これまで必需品(英語を使ってle mustという)とざれていたスタンダードモデルを,近頃の若者は「おじいちやんのジーンズ」と軽蔑するようになったそうだ。彼らは,もっとスポーティでゆったりした「バギー」とよばれるスタイルを好む。フードつきトレーナー(lesweat)とスウェットパンツ(le jogging)に野球帽,足にはスポーツシユーズ。アフリカ系移民の二世が多い世代だけに,ラップをはじめアメリカ黒人のストリート・カルチャーやスポーツ選手などに,自己を同一視したい願望も強いのだろう。昨年,フランスがワールド・カップに優勝したことも,スポーツウェアの人気をざらに高めたようだ。

というわけで,フランスの若者にとっての「ブランドもの」とはフォーブール・サントノレ通りのブティックのものなどではなく,もっぱらスポーツ系なのだ。日常的な装いなのに値段は高いから,にせブランドやら盗品の密売ルートさえあるほど。三食にことかくような貧しい家庭の子どもでも,靴だだけはブランド品という現象が広がっている。しかし,美的欠陥と値段を別にすれば,スポーツシューズのはき心地がいいのは誰もが認めるところだろう。

その証拠にというわけでもないが,昨年ジョスパン首相は,「僕はバスケットシューズをはいたようにしなやかだ」という有名な言葉を発した。これは,欧州選挙の選挙法や放送法の改正など,実施するつもりの改草が難航しても,自分は融通をきかせて対応できる(実際には延期した)という意味だ。前任のジュペ首相は汚職の疑いを受けたとき,「私はブーツをはいたようにまっすぐ(公明正大)だ」(Je suis droitdans mes bottes.)と言ったが,まっすぐというより高飛車で石頭のジュペ前首相のスタイルを皮肉り,自らの柔軟性を強調しようとした言葉なのである。ちなみに,ジョスパン首相は大のスポーツ好きで,バスケットボールもテニスもなかなかの腕前だという。

バスケットシユーズの出てくる言い回しに,「わたしのバッシユーから手を離して!」がある。つまり「うるさいな,ほっておいて」(Fiche‐moi la paix.)。恩春期の子どもたちがうるさい大人に対してしょっちゆう使う,イメージ豊かな表現である。

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