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フランス通信(2005年6月)

❖2005年6月7日
EU憲法条約の不思議(1)

153日目。

フランスにつづいてオランダの国民投票でも、EU憲法が過半数で否認された。オランダの事情はよくわからないが、フランスで55%近くの投票者(投票率は約7割)がノンと言ったことについて、内側からちょっと書いてみたいと思う。参考までに、EU 加盟国は現在25か国。これまでに9か国がこの憲法条約を批准している。

否認の理由は大まかにいって、つぎのものがあげられている。

1. フランス国家の主権消失に対する拒否(国家主権主義派、極右)

2. EUのネオリベ経済政策に対する拒否(左翼)

3. 現在の自分の状況や政府に対する不満

4. EU内の安い労働力のせいで失業者が増えるという不安

5. EUの反民主主義的なあり方、EU官僚のエリート政治に対する拒絶

ウイの人びとやEU首脳陣が非難したように、ノンの人がみな国粋主義の外国人嫌いで時代遅れとはいえないのだ。ノンは労働者、非管理職など低所得者、低学歴の人や農村部に多かったが、経済学者や文化人の中にもノンはいた。年齢層では60歳以下はすべてノンが優勢で、ウイが過半数をとったのは年金生活者だけという点にも注目すべきだろう。

都会のモダンで裕福な層にしか魅力的でないEU憲法とはいったい何なのかを考えるために、まず国民投票前の経過を話そう。というのも、昨年の秋まではウイに投票するつもりの人が6割以上いたのだ。シラクは否認されるとは夢にも思わず、賛否両論のある社会党を分裂させるのが目的だったようだが、国民投票が決まると、じゃあその憲法をちゃんと読んでみようという人たちが出てきた。ふだんEUのことはメディアもきちんと報道しないし、一般市民の関心も低いのだが、今回はいろいろな解釈と意見が発表されるようになり、市民のイニシアチブもどんどんさかんになった。とりわけ、あちこちでノンの主張をする市民集団がつくられ、インターネットで意見が飛び交い、議論がもりあがるにつれて、世論調査でノンの割合が増えてきたのだ。

たとえば、マルセイユの高校で法律を教えるエチエンヌ・シュアールは、EU憲法関係のさまざまな出版物と原文を読み解き、ノンにいたった5つの理由を自分のサイトで詳しく説明した。投票日直前には毎日2万5000ものアクセスがあり、彼の文書はネットで広く流布された。

彼が第一にあげた理由は「この憲法は読むに耐えない」というもの。有権者に送られてきた実物は、A4サイズ2段にびっちり小さい文字で191ページ。A4のふつうの文書では852ページ分だとシュアールは言う。言語学者のアンクルヴェも「読むのに6時間かかった。フーコーやブルデューを読むよりはやさしいが、不明瞭な点が多く注釈がないので、背景をよく知る人にしかわからない」と言っている。憲法を名乗るいちばんの基本法は、市民全員が理解できなくてはおかしい。だからこの憲法は反民主主義的だとシュアールは主張する。ちなみに、フランスの憲法もアメリカのもA 4文書で約20ページの長さだという。

実際、これを最後まで読破できるのは、よほどお勉強好きで暇な人だけだ。「第3部で規定されているように」などと別の条項、時には本文以外の欧州委員会白書のような専門文献を参照しないと内容がわからない。人をバカにしてると思われてもしかたがない、と思いましたね。

で、なぜこんな長く読みづらいものになったかという点が鍵ではないかと思う。そもそも「ヨーロッパの憲法を制定する条約」というタイトルからして奇妙だ。憲法は主権市民がつくるもの。条約は各国指導者が交すもの。このハイブリッドなコンセプトに、EUの矛盾があらわれているのではないだろうか。哲学者エチエンヌ・バリバールは、新しい市民権が創造されていないから、本当の憲法ではないと指摘する。「EU市民」とは何か、どんな社会をめざすのかが曖昧なまま、第1条からすでに「自由競争の市場を提供する」とあり、これまでのEU条約を集成した第3部はほとんどが経済政策の詳細だ。「専門家の私たちにまかせておけ」というEUの寡頭政治を彷彿させるこのテキストに、市民がノンと言ったのも無理はないと、哲学者のジャック・ランシエールは述べる。EUは「はだかの王様」なのだ。だからこのノンが、EUは何のためにどこに向かうかを考えるきっかけになればいいのだが、さあて?

ウイを推進したフランスの指導者たちは、EU のことなどもうとっくに忘れたもよう。新内閣はこれまでとほとんど同じメンバーだし、次回大統領選に向けた権力争いに身を投じている。一生懸命この憲法を読んだ市民に対して恥ずかしくないのか、おまえら。

❖2005年6月15日
EU憲法条約の不思議(2)

6月11日、フローランスとフセインは157日間の勾留の後、解放されました。よかった! 12日、フランス到着直後の記者会見でフローランスは持ち前のユーモアのセンスを発揮したので、思わず笑ってしまった。久しぶりにフランスじゅうで上機嫌になれたなあ。

さて前回は、フランスの国民投票でEU憲法条約が否認された理由のうち、目標がよく見えない、読みづらく長すぎるテキストを市民が拒否した点について話した。これまでの反民主主義的なEUのあり方、政治的意欲の欠如があらわれたテキストであると。この批判に対してウイの推進者は「それでもこれまでの条約よりずっとマシなんだ。欧州議会の権限を広げ、基本的人権憲章を組み入れて民主主義的にするのに、すっごく苦労したんだから」と反論した。うん、それはたしかにそうなのだ。

歴史をふりかえると、第二次大戦後に二度と戦争が起こらないようにという願いから生まれたヨーロッパ統合への歩みは、いつでも経済が軸だった。1951年の欧州石炭鉄鋼共同体に始まり、防衛共同体には失敗したけれども57年のローマ条約で翌年には欧州経済共同体(EEC)が発足し、以後もおもに経済協力をとおして統合が進められた。マーストリヒト条約(92年)、アムステルダム条約(97年)、ニース条約(2000年)とつづき、EU加盟国は25に増えてユーロが12か国で使われるようになったが、ブッシュの戦争に対する各国政府の態度をみてもわかるように、共通の外交や政治は遅々として進んでいない。進んだのは、欧州中央銀行の設立とインフレ・国費の赤字を抑える通貨安定政策、そして90年代以降はとりわけ、電力・ガス・電話産業の民営化をはじめ、グローバリゼーションの波にのったネオリベ経済政策だ。

こうして、第1部第3条の「目標」の中に市場の自由競争が明記され、経済政策が長々と展開された憲法条約ができてしまったわけだ。哲学者のエチエンヌ・バリバールは、この憲法条約が欧州中央銀行、つまり金融に最高権限を与えている点が問題だと指摘する。そもそも経済政策を憲法に記すのはおかしい、憲法は経済政策を選べる民主性(変更の可能性)を保障すべきだと言う経済学者も大勢いる。おまけにこの憲法条約は、改正がひどく難しいのだ。一方、左翼のウイの人たちは、この憲法条約で政治的統合を強化することによって、社会保障が促進できるはずだと主張したのだが、「社会保障について書いてあるときには必ず『自由競争の害にならない範囲で』と制限されている」と反駁された(「EU憲法に反対する12人の経済学者」のサイト)。

そして、なにより一般市民が不安に思ったのが、EU内の安い労働力のせいで失業者が増えるのではないかということだった(先週あげた項目の4番)。ここ数年来、フランスやドイツの工場を閉めて、もっと人件費の安い東欧やインド、中国などに工場を移す「デロカリゼーション」のニュースが絶えない。最近では、従業員をルーマニア(もうすぐEUに入る予定)に移住させて現地の格安賃金を払おうとした企業や、フランス・テレコムがポルトガル人を安く雇う下請けに工事をまかせていたことなどがニュースになった。季節農作業や土木工事をはじめ、さまざまな職場でEU内からの「人材派遣」を出身国の安い賃金で働かせる雇用者が大勢いることが、にわかに認識されたのだ。昔から不法滞在の移民を闇で安く雇う雇用者はいたし、外国からの「人材派遣」には受け入れ国の労働法をある程度適用しなくてはならないという96年のEU指令もあるのだが、労働監査官の人数も予算も足りないため、現実にはほとんど野放しになっていることが露呈してしまったというわけだ。

社会保障の低い国が有利になるこの「ソーシャル・ダンピング」を批判したノンの人たちは、ウイ陣営から外国人排斥だと非難された。経済学者のルネ・パセらが指摘するように、EU内で労働条件・社会保障と税制を調和させないかぎり、企業は税金と人件費のより安い国に移動し、人材派遣を濫用して外国人を安賃金でこき使うんだよ、と警告したつもりだと思うんだけど。そして、市場の自由競争をオウムのように繰り返すこの憲法条約からは、EU圏全域に高い社会保障を確立しようという意志は見えてこない(ネオリベの観点に立てば、そんなことしたら工場は全部EU以外に行ってしまうから当然か。でも、そうやって第三世界と弱者を19世紀並の労働条件で働かせて株主をもうけさせ、たくさんの人間と環境を破壊する社会って何なのだろう?)。

ところでルネ・パセは、ネオリベ思考のしみとおったこの憲法条約はすでに時代遅れだと言う。わたしたちは今、テクノロジー革命によって生産手段や生産関係が激変した世界に生きている。だから、人間を利潤計算の変数としか考えないネオリベ経済思考ではなく、環境の中で人間をとらえ、相互に作用しあう生体システムのように世界を考える新たな経済思想が必要だと言う。EUもひとつの生態系のようにとらえて、何のために生きるのかを考え、みんなでいっしょに生きていけるような関係を構築しようではないかと。

目前の利益や欲求を追う人たちには理想主義に見えるかもしれないけれど、わたしにはこれが先見の思考として響く。勝ち組だの負け組だのという卑しい発想からはもういいかげん抜けて、ただの消費者ではない人間らしい生き方をしたいと思いませんか?

参考:
12人の経済学者のサイト: http://econon.free.fr/
ルネ・パセのインタビュー:http://www.diplomatie.gouv.fr/label_france/FRANCE/DOSSIER/environnement/09.html ATTAC・ジャパンのサイトの参考記事:http://www.jca.apc.org/attac-jp/japanese/20050424generalmeeting-02.html

❖2005年6月22日
フロランスの確信

EU憲法条約の話にはもううんざりだろうけれど、ひとつだけつけ加えておきたいのは、この国民投票が一部のフランス人のあいだにふかーい亀裂をもたらしたことだ。日本の皆さんには信じられないだろうが、カップルや家族、友だちどうしでの意見の相違が不和をよびおこし、別れたカップルさえいるのだ(国民投票のせいというより、議論の過程でもっと根本的な問題が露呈したのだろう)。ほら、「こんなことを言う人だったなんて」と心底傷ついてしまうたぐいの。フランス人が誇っているはずのユーモアのセンスを失うほどの大事だったのである。主要メディアはほとんどウイ陣営だったから、報道にも不機嫌な論調が目立った。分裂・亀裂がすさまじいのは左翼だが、シラクの人気も急落し、EU首脳会議を前に、フランスは昏迷した様相を呈していた。

だからこそ、フロランスとフセイン解放のニュースは、この不機嫌と昏迷からフランスを(一時的に)救うカタルシスのように作用した。6月12日の夕方、ファルコン機から笑顔で降り立ったフロランス・オブナをフランスじゅうが上機嫌で迎え、彼女のジョークに笑い、喜ばしい解放気分を共有したのだ。彼らがイラクで人質になっていた157日間、さまざまな人びとが無数の支援行動を繰り広げたことを前に書いたが、この「市民の連帯」とでもよぶべきものによって、人びとはイラクの人質という遠い現実を見世物でも他人ごとでもなく、自分の世界の中に(少し)とり入れることができたのではないだろうか。アラブ世界研究者のジル・ケペルは、この人質事件はラシーヌの悲劇のようで(ハッピーエンドだけれども)、フロランスは国民的ヒロインだと評した。

ケペルは同時に、解放をよびかけた大規模な支援行動には、現代のフランス社会が世界に臨む関係があらわれていると指摘する。たとえば、「彼らは報道の自由のため、私たちのために行った。私たちの力によって彼らを帰還させよう」というスローガンがあったが、そこには「交渉するのは政府と諜報機関だが、自分たち市民の声をなんとか届かせたい」という思いがあるだろう。イラクのフランス大使は市民やメディアが騒ぎすぎると交渉のじゃまになると発言したが、それに対してフロランスは「政府は私たちの代表なのだから、国民の意志を反映すべきだろう。ジャーナリストだけでなく、一般の人びとも言論の自由を大切に思っている。私が手を縛られていたとき、彼らは報道の自由のために闘い、それが彼らのものでもあることを示してくれた」と記者会見で述べた。

「独占取材」を避けるためにプレスクラブで行われ、誰もが見られるようにインターネットに載ったこの記者会見は、型破りで傑作だった。苛酷な勾留体験をシンプルにユーモアたっぷりに、つまり距離をおいて冷静に語ったフロランスの才知は、4×2メートルの地下室のアングルからイラクのひとつの現実を映し出している。拉致グループの「ボス」にシラクのメールアドレスや野党のサイトを訊かれたというくだりに会場がどっと笑うと、「あのときの私には笑えなかったわ、5年は出られないと思った」とつづける。このスンニ派の拉致グループが明確な政治・宗教集団ではなく、強盗的要素の強いプロと素人が微妙に入り混じった存在であることが想像できる(フランスのリベラシオン紙が左翼系で、彼女がイラク戦争反対の立場であることなど彼らは知らず、興味もない)。「ボス」が、昨年のフランス人記者ふたりの人質事件にわりこんで顰蹙をかったジュリア議員(前フセイン政府・シリアにネットワークをもつ)を使おうとした話も滑稽に語られたが、これはフセインを倒した後も旧体制の強固なネットワークが機能していることを示している。

現地の情報をイラク人学生から収集しているジル・ケペルによると、アナーキー状態のイラクでは人質ビジネスが花咲き(イラク人も大勢犠牲になっている)、多額を払ってガードマンに守られたジャーナリズム以外はほとんど不可能になっている。同盟軍発表の情報しか報道されない地域になりつつあるのだ。これが、「民主主義をもたらす」と称してブッシュが始めた戦争の一面である。

市民の支援行動のことをフロランスが知ったのは140日目、一度だけテレビを見せてもらえたときだ。こんな大規模な行動が起きているとは想像できなかったが、「フランスの人びとが人質を見捨てるはずはないと確信していた。それがもちこたえる助けになった」と語る。ジャーナリストやボランティアの人質を罪人のように、おまけに家族までバッシングした国(日本)で、一市民がこの確信をもてるようになるには、何から始めたらいいのだろう?

記者会見 http://www.tv5.org/TV5Site/info/20050614-video.php

❖2005年6月30日
フロランスの確信

先週のいとうせいこうさんの日記を読んで、へーえ、日本には音楽や音響技術を駆使した朗読のパフォーマンスがあるんだ、と触発された。というのも、わたしは朗読を聞くのが好きで、ラジオ(フランス文化放送)から朗読が流れてくるとつい耳を傾けてしまうし、最近では「朗読のCDをMP3で聞くと快適だよ」という友人の入れ知恵にしたがって、文学作品を街で聞く魅力を発見したところだったのだ。

もっとも、ここでいう朗読とは、ごくクラシックに俳優が文学作品を読むもので、音響、音楽はほとんどなし。あっても、たとえばラクロの『危険な関係』で、書簡の終わりにハープシコードの演奏がちょっと入るといった具合のオーソドックスな演出だ。ラジオの朗読では音楽が入ることも多いが、あくまでいかにテキストを「生かす」かが基本になっている。フランスにも、『エミール』が発禁になったルソーが『告白』をあちこちの貴族のサロンで読んだ歴史があるが、ラジオやCDの朗読はおそらく文学を流布する手段として発達したのだろう。だから、「語り方」のプロである俳優が読む。で、アンドレ・デュソリエが朗読したプルーストの『失われた時を求めて』とか、古いところではジェラール・フィリップが読んだ『星の王子様』などの傑作を聞いた人は、すっかり魅了されて朗読ファンになる(と思う)。奥泉光氏のいう「複数の声」を表現するのが朗読俳優の芸なのだ。

イギリスやドイツなどに比べると、フランスでは一時、朗読の伝統が廃れていたのだが、1987年にファブリス・ルキーニという生意気な兄ちゃんふうの俳優がセリーヌの『夜の果てへの旅』の朗読を劇場で始めたら、連夜満席の大ヒットとなり、朗読ブームの火がついた。ドパルデューやピコリをはじめ、われもわれもと俳優が朗読熱に憑かれ、演出家のパトリス・シェローは5年来ドストエフスキーを読みつづけている。各地の劇場、文化センター、フェスティバル、図書館、カフェなどで、毎月40以上もの朗読会が行われているという。「作家が読み聞かせる朗読は腑に落ちない」という指摘にならっていえば、俳優の場合も「スターのパフォーマンス」になってしまう朗読はいただけない。

この朗読ブームにのって、そういえばフランスでもたしかに作家の朗読が増えてきた。でも、たいていの場合は他の作家の作品を読む。たとえば先週の土曜、ノルマンディーの田舎の僧院で昼から真夜中まで37人の作家がフローベールの書簡を読むというイベントがあった。5月末には南仏のトゥールーズで、「言葉のマラソン」という朗読の大イベント第1回目(4日間で200以上の朗読やパフォーマンス)が催され、これにはイザベル・ユペールをはじめ俳優も大勢参加したが、こけらおとしのゲストはなんとサルマン・ラシュディーで、ル・クレジオまで参加した(彼は自作を読まなかったが)。4日間で52500人を動員したほどの盛況で、これを機会に作品や作家を「発見」した人もいるのだろうが、どうもこういうイベントには胡散臭さを感じてしまう。テキストは「声」だとわたしも思うから、「人物」というか「顔」が優先する近頃の出版界さながら、朗読に顔をつけてしまうのは腑に落ちない。それに「言葉のマラソン」というネーミングも気に入らない。言葉は呼吸し、沈黙し、懇願し、跳躍し、走り、泣き、笑い、歌い、しかめ面だってするかもしれないが、マラソンなんて耐久レースみたいでいやだなあ。

これら文化イベントとは別に、無名の読み手が各地を語り歩く朗読も広まっている。10年前にリュクサンブール公園で読み始めたのがきっかけで、今や外国にまで「語り」にいく読み手もいるほどだ。公共の場はもちろん、企業や学校、病院、個人宅にも朗読にいく現代の「語り部」である。一方、作家のダニエル・ペナックは、朗読の威力を描いた物語を書いて、学校での朗読を奨励した(フランスの教育省は68年、「黙読」優先政策をとって朗読を軽視した)。99年には作家120人が朗読促進計画を支持し、1万人もの年金生活者が朗読のために無料で学校に赴くようになった(教育省も朗読奨励政策に戻った)。日本でも「声に出して云々」というブームがあったようだが、こうやって作家や本の好きな人が若い層に向けて朗読を実践する手もあるのだ。

言葉の喜びはたぶん、まず「語り」をとおして耳に入るのではないだろうか。子どものときにお話を読んでもらった楽しさを語る作家も多い。『象のババール』を息子といっしょに愛聴したわたしとしては、子ども向けをはじめ、もっとたくさん日本語の美しい朗読CDをつくってほしいと思うのだが(俳優にもコマーシャル以外の仕事が回ってくるし)……。

・ 「言葉のマラソン」サイト http://www.lemarathondesmots.com/
・ lire et faire lire (「読んで読ませる」会) http://www.lireetfairelire.org/

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