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フランス通信(2005年7月)

❖2005年7月5日
スペインの「気」

今、ヨーロッパでおもしろい動きがある国といえば、スペインかもしれない。6月30日、スペインの国会はホモセクシュアルどうしの結婚と養子の受け入れを認める法案を可決した。ヨーロッパではオランダ、ベルギーにつづいて3番目の同性婚の合法化になる。ちなみにアメリカ大陸では、カナダで7月中に同性婚が合法化される予定。合衆国ではマサチューセッツ州だけが認めている。

いろいろな面で「進んでいる」といわれる北欧をはじめ、ヨーロッパではここ十年くらいのうちに、結婚という形をとらなくても、同性のカップルにヘテロのカップルと同じ権利を与える国が増えてきた。2003年に行われた世論調査ではEU15か国平均で57%が同性婚に賛成している(資料参照:http://www.eosgallupeurope.com/homo/index.html)。でもフランスでは、99年に同性のカップルも法的に認めるパックス(PACS:連帯の市民協約)法を通過させるのに大反対が巻き起こって国をあげての大騒ぎとなり、同性カップルの養子の受け入れや結婚を認めるにはまだほど遠い状況……なのに、もっとカトリック教会の影響が強くてマッチョな社会だと思われていたスペインで、同性婚がいとも簡単に(教会の強い反発や大きなデモはあったにせよ)実現してしまったのだから、お見事! サパテロ政権はそのうえ、離婚の簡略化やドメスティック・バイオレンス対策もあっという間にどんどん進めている。イラクからの撤兵と同様、公約をちゃんと守ってえらいな、かっこいいな、としょうもない政府のつづくフランスから見ると、羨ましい。

でもこれは、政治家に甲斐性があるかないかだけではなくて、社会全体がかもしだす「気」みたいなものの問題ではないかと思う。スペインでは最近、ベベという27歳の女性が歌うドメスティック・バイオレンスを糾弾する歌「ミロ」が大ヒットした。去年、この国で配偶者や元配偶者に殺された女性は109人もいるが、フランスにもひょっとしたら同じくらい多くのDVがあるかもしれないのに、つい最近までその統計さえとられていなかったし、社会問題としてなかなかとりあげられないのだ。同性婚の合法化について、バルセロナに住む友人は言う。「これだけ離婚が増えて家族の形態もかわって、血のつながりなんて関係なくなったんだから、同性が結婚して養子を迎えたって別にいいじゃない、ってみんな思ってるみたいよ。なにしろスペインは出生率がヨーロッパで最低のほうなんだから」

そうだよね、と思っているフランス人も多いのだが、この国には知識人のなかにまで「そんなことしたら社会の根本が崩れてしまう!」とヒステリックにわめいちゃう人たちがいるのだ。同性婚の合法化を支持する緑の党のノエル・マメールは去年の6月、「異性と結婚しなくてはならないとは法律に書いてない」と、自分が市長をしている町でゲイふたりの結婚式をあげさせた。これは話題になったが、共和国から市長資格を短期間剥奪される処分を受けただけでなく、ものすごい誹謗中傷を受けた(もちろん支援のメッセージもあったが)。公開されたそれらのメッセージを読んで、一部のフランス人のホモフォビア(同性愛に対する拒絶反応、同性愛者への敵意)の根強さ奥深さにあらためて驚いたのだ。そこには、男の本質(?)を犯される(?)ことへの恐怖(そういう誹謗中傷をするのはほとんど男だ)のようなものがあるように感じた。それに比べてスペインは寛容ではないか。

スペイン系の青年、市民戦争のときおじいさんがフランスに亡命してきたというJは、同性婚の合法化にも驚かない。「バカンスは毎年スペインで過ごすんだけど、人がもっと寛容だと感じる。社会階層や年齢層もフランスよりまじりあっていて、遊ぶにもいい雰囲気の場所がたくさんあるんだ。市民戦争後、長いフランコの独裁政権時代があったから、自由で寛容な社会を求める傾向がより強いのかもしれない」

フランコが死んだのは1975年だから30年も前の話だが、そういえば象徴的なことに、マドリッドの中心広場にあったフランコの騎馬像は、今年の3月に撤去された。フランコ時代の最後のシンボル、ガリシア地方の指導者フラガ(元フランコの大臣)も、先週初めて選挙で負けた。ブッシュのアメリカを先頭に保守化・反動化が全世界で進む中、スペインにはなんだかいい「気」が息づいているようだ……住んでいないから「隣の芝生」的羨望かもしれないけれど。

・DVとたかかうスペインのサイト:http://www.redfeminista.org/
・ノエル・マメールにきたメッセージのおとなしい部類:
http://www.noelmamere.org/rubrique.php3?id_rubrique=35

❖2005年7月12日
ロンドン・コーリング

2012年のオリンピックがロンドンに決まって、サッカーの重要な試合に負けたときみたいに悲嘆にくれるフランスと、鼻高々のトニー・ブレアをちょっと茶化すような話を書こうと思っていたら、翌朝、ロンドンで同時多発テロが起きて、それどころではなくなった。というか、ふだんは見ないようにしている現実が、ぬっとむきだしになったというべきだろうか。7月1日・2日には世界各地で貧困撲滅キャンペーンが行われ(日本では「ほっとけない世界の貧しさキャンペーン」http://hottokenai.jp)、スコットランドのG8で(おざなりであろうと)アフリカへの援助と地球温暖化問題(あるいは対策?)を話し合おうというときに、ブレア、シラク、サパテロはシンガポールまで出向いてオリンピック誘致に必死になり、メディアもやたらオリンピックにフィーバーして「英仏戦争」のごとく騒ぎ立て、なんとも見苦しかったのだ。

ふだん見ないようにしている現実とは、いつ、どこでテロが起きても不思議ではなくなった、この嘆かわしい世界情勢のことだ。2004年3月11日のマドリッドの列車テロから1年4か月、ロンドンでの複数爆破にヨーロッパの多くの人びとは、「やっぱり来たか」という思いを抱いたと思う。9.11以来、イギリスでもフランスでも、アル・カイーダ星雲とよばれる人たちによるいくつかの爆破計画が未遂に終わっている。そして、最近のCIAの報告書や多くの専門家が指摘するように、イラク戦争のせいでテロの危険性は増大したのだ。それが住民の次元で何を意味するかといえば、パリやローマの地下鉄や繁華街でいつ爆破に遭うかもしれない危険があるだけでなく、日常的に身分検査が厳しくなり、個人の自由を束縛する特別法がどんどんつくられて、ブッシュが世界にもたらすつもり(!?)の民主主義が民主主義国内でひどく後退することでもある。「善良な市民」だって何かの間違いや密告によって疑われるかもしれないし、いつかの日記に書いた「不法」滞在の外国人にとっては実に困難な毎日となる。現に、フランスでは治安をふりかざすのが大好きなサルコジー内相がさらに勢いづいて、警官が町でわが物顔をしている。

テロはたしかに怖いが、ヨーロッパに住んでいるとそれが身近なだけに、ある程度の冷静さが生まれる。わたしはパリの1986年と95年の連続テロの際、それぞれ一度ずつ、爆破の起きた場所をかなり近い時間に通過していた。さきほど電話で話した友だちは、友人の母親がロンドンの爆破で死亡したと言っていた。「でも、アイルランド革命軍のテロを集計したら、犠牲者はもっと多いかも」と彼はつけ加えた。テロのあと、イギリス市民とメディアが驚くほど冷静なことを(こんなときでもちゃんと列をつくって静かに待つ人たち!)フランスのメディアは強調していたが、フランスも爆破テロにかけては経験を積んだため、救急などの措置は敏速だし、被害者の心理ケアも行き届くようになった。

市民をターゲットにする無差別テロは卑劣だ。でも、世界各地にこれだけ大勢の、おまけに自爆テロ(カミカゼ)も厭わないテロリスト志願者が出てきてしまった今日の状況では、警察や軍隊の力では防ぎきれないだろう。それどころか、ブッシュ流の尊大で宗教的な勧善懲悪思考と新帝国主義は、火に油を注いでいる。相手は、イラク戦争に反対した市民もムスリムの住民もいっしょくたに殺そうとする人たちなのだから、死んだり被害を被ったりするのは市井の人だ。いちばん危険に晒されている市民は、あてにならない「安全」とひきかえに、自分たちの自由や権利が剥奪されるのを黙って受け入れていいものだろうか?

テロの直後、ロンドン市長のケン・リヴィングストンは犯人たちに呼びかけた。「このテロのあとも、人びとは世界じゅうからどんどんロンドンにやって来るだろう。ロンドン市民になって夢を達成するため、自由に自分が選んだ人生を実現するために。あなたがたがどれだけ人を殺しても、人びとが協調的に生きられる自由の町への流れを止めることはできない」。ブレアの紋切り型の演説とは対照的に、指導者の口からは初めて聞く人間的な台詞であるとともに、「開けた」見解だと思った。9.11の直後に国境を閉鎖し、きょうもパリ発シカゴ行きの航空便を拒否したアメリカ合衆国とは異なり、英仏間を結ぶユーロスターは遅れても運行をつづけた。そして、延期を勧める職員の忠告にしたがわずに、大勢のフランス人がロンドンに向けて発っていった。

❖2005年7月19日
オレンジの木の下で

ロンドンのテロのあと「赤色警報」体制がしかれて検査がより厳しくなった空港を飛び立って、コルシカ島に来た。「ほかはどんな失敗をしてもかまわないけれど、バカンスだけは成功させなくっちゃ」と旅行代理店のコピーが謳う国に住んでいながら、ここ数年来、満足のいくバカンスをとれなかったので、今年は発憤して早めに滞在地と交通機関を予約したのだ。

フランスでも、まる1か月の夏休みをとる人は少なくなったという。有給休暇5週間の他に、週35時間労働法によってさらに休暇が増えたら、1回の滞在期間は短くして何度もバカンスに出る傾向が強まったらしい。でも長年この国に住むうちに、ふだんの生活から逸脱できる長い休みはいいもの、というか必要なものだと思うようになった。といっても哀しいかな、せわしい日本人気質がなかなか抜けないだけでなく、安く長期滞在できる海/山/田舎の家などがないので、フランス名物の長いバカンスにはそう簡単にはありつけない(もっとも統計によると、フランス人の4割が「長いバカンス」=4泊以上をとっていない。バカンスをとらない/とれない人の割合が多いのは高齢者や農民、そしてむろん低所得者だ)。それに、手頃な滞在地を見つけるのはけっこう難しいのだ。芋の子を洗うような海岸には行きたくないし、かといって山は時には寒すぎて夏休み気分になれないし、理想的なバカンス地はどこも当然ながら高くて混んでいるし……で、穴場を狙うと天候に恵まれなかったりする。去年の夏はバスク地方に行ってみたが、雨に降られてほとんど山歩きができず、残念な思いをした。

今回は運よく、コルシカ出身の知人の口コミで、彼女の実家の向かいの家の一部を借りられたので、思いきって2週間休みをとった。テレビもラジオも電話もなし。『先見日記』があるのでやむをえずパソコンを持ってきたが、この家には電話線がないから、どこかで電話線を借りないと原稿は送れないという未開生活だ。バリバリの仕事人には想像しにくいだろうし、ひどく時代錯誤に感じられるだろうが、いつでもどこでも「繋がっている」状態から時には逃れたいとわたしは思う。「ねえ、今どこだと思う? ヴェニスのサン・マルコ広場よ!」とか、異国から友だちに携帯電話をかける人の気がしれない。旅の楽しさとは、いつもとはちがう時空間に身をおくことではないだろうか。友だちには、リアルタイムの写メールではなくて、何日もかけて届く絵はがきを送りたい。

オレンジの木の下で、ゆっくり朝食をとる。夕暮れどきには、バラ色に染まる山並を眺めながらお酒を飲む。この土地のトマトやチーズ、ソーセージを食べる。海につかり、海を眺める。山道を歩き、鳥の鳴き声を聞く。灌木や花の香りを吸い込み、静けさを聞く。

どこか知らない土地に行くとき、その異なった時空間に身をひたしていけると嬉しい気分になる。存在の軽やかさが感じられるからかもしれない。そのために、ゆったりとした時間がほしい。

❖2005年7月26日
浜辺から見る未来

先週フランスのトゥール市で開かれていた世界人口会議によると、現在65億の世界の人口は2050年には80~90億人に達し、都市部の人口がさらに増え、寿命は(発展途上国でも)どんどん延びて、老人だらけになるそうだ。たとえば中国には今、100歳以上の人が7000人いるが、2050年には47万人になるという。それまで地球のエネルギー資源がもつのか、環境破壊やばかばかしいテロ・戦争などのせいで地球自体がもつのかという疑問もあるけれど、そうやって老人ばかりの社会になることをどこの国も真剣には考えていないような気がして、こわい。それにしても、日本人はどうして世界一平均寿命が長いのだろう? 自殺が多くて過労死があっても、乳幼児の死亡率が世界一低いほど衛生・医療環境がいきとどき、(今のところは)国内での貧富の差が小さいということなのだろうか?

2050年にひょっとして自分が生きているところを想像するとぞっとするが(あっ、だからみんなちゃんと考えないのか)、浜辺で人びとを見ていると、寿命が今後もどんどん延びるとはとても思えない。ここ数年来、海水浴客の姿を見る機会がなかったせいか、肥満体がずいぶん増えた気がするのだ。いや、太ったおとなの海水浴客は昔からいたが、小・中学生くらいの子どもや若者の肥満体はあまり見かけなかったように思う。それも、ヨーロッパの伝統的(?)な太め体型ではなくて、いかにも甘いものとジャンクフードで膨らみましたという感じの肥え方なのだ。イギリスでは青少年の2割がすでに肥満だというが、フランスもそれに近づきつつあるため、国が肥満対策キャンペーンを始めたことを思い起こした。

地元パリ13区の議員は以前から肥満対策法案に取り組んでいるが、食品業界の大企業の圧力がものすごくて、なかなか実現しない。先日ようやく、9月の新学年から学校内での嗜好飲料・菓子類の自動販売機を禁止(すでにある場合は撤去)する法案が、業界の抵抗を押しのけて通過した。でも、食品の広告に必ず「健康のためのメッセージ」を入れるという政令については、全国食品工業協会がいまだに食い下がっている。「あなたの健康を守るために、脂肪・砂糖・塩分の多い食品をとり過ぎるのは避けましょう。野菜と果物を毎日5種類以上食べて、定期的に身体運動をしましょう」という国が決めたメッセージが長すぎるだの、ポジティブじゃないだのとごねているそうだ(「脂肪・砂糖・塩分の多い食品をとり過ぎるのは避けましょう」の部分をとれということらしい)。企業というものはなるほど、利潤の追求が第一で、肥満がひいてはいろいろな病気や不便につながり、社会保障にも高くつくなんてことはどうでもいいのですね。

もっとも「健康を守るため」という発想は、わたしも気に入らない。質がよくてバランスのとれたおいしい食品を食べたいと思うが、健康を守るためじゃなくて、それがしあわせだからだ。そして、そう思えるのは、これまで生きてきた食文化のおかげだ。だから肥満防止キャンペーンも必要だろうが、まず幼稚園(フランスでは3歳児から公教育)や小学校で、食品に関する教育に力を入れてほしいと思ってしまう。というのも、このところフランス人の食文化はかなり危うくなってきていて、ケチャップをどんどん使ったり、食事どきにコーラを飲んだりする人が増えているのだ。肥満児の多い地方のいくつかの市では、町ぐるみで肥満対策に取り組み(テレビやゲームの前に座りつづけ、スナックを食べるような生活習慣に注意を促すとか)、実績が上がっているという。

そして、本気で野菜と果物を5種類以上食べろというなら、ここ2、3年の値段の急高騰をなんとかしてほしいものだ。豊富で安い野菜と果物が、フランスをはじめ南ヨーロッパの食文化を豊かにしていたのだから……。大手の流通企業や多国籍食品大企業が食を牛耳るままにしておくと、どんなにキャンペーンをはっても世は肥満天国になってしまうのではないかしらん。

第25回世界人口会議:www.iussp.org/France2005/

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