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フランス通信(2005年9月)

❖2005年9月7日
カトリーナによって見えたもの

驚いた。いつか話したゾンビの映画(ロメロ監督の『ランド・オブ・ザ・デッド』)のような光景がテレビに映っている。そう、カトリーナにみまわれた市街の惨状だ。あれはホラー映画ではなくて先見ルポだったのか、と複雑な思いがする。

ハリケーンによる大災害はアメリカ社会の内情や弱みを露呈した。指導者たちのぼろが出たというか化けの皮が剥がれたというか……。数千人以上と推定される犠牲者はもとより、とどまった市民の大部分は避難したくてもできなかった貧しい黒人、高齢者、障害者だ。ミシシッピ州、ルイジアナ州とも白人が6割強、黒人が35%前後(ニューオーリンズ市は黒人が3分の2以上)。このブルースとジャズの故郷は、合衆国の中で貧しい州にあたる。国内の石油と天然ガス資源30%を産出しているのに富はテキサスとかに持っていかれ、失業者も犯罪も多い。ニューオーリンズ市の人口のうち12万人(27.4%)が年収8000ドル以下の貧困層で、その84%が黒人だという。大統領以下の連邦政府、州政府、自治体の対応がものすごく鈍く、援助が遅れたのは、そのせいなのだろう。想像をうわまわる大ハリケーンとはいえ、世界最強の軍隊をもち、兵站にはエキスパートのはずなのだから。

でも、休暇先のブッシュがすぐに反応できなかったのは、マイケル・ムーアの『華氏911』の小学校訪問の場面(同時テロを知らされたあとのブッシュの表情)を思い出すと、やっぱりという気がする。選挙キャンペーンでは「災害のときに指導者の力量が発揮される」とか言っていたはずなんだけれどね。ライス国務長官にいたっては(この人のファーストネームは、音楽用語のコン・ドルチェッツァ=「優しく」からつけられたそうだけれど)、昨年末の大津波のときに「これはアメリカの威信をアジアで高めるいいチャンス」と口をすべらせたくせに、9月3日にやっと休暇から戻ったほど、国内の貧乏人の災害は対岸の火事だった。

国土警備を任務とする州兵の一部がイラクに送られていて対応ができなかったことや、30年前から施行されるべきだった沼地整備を代々の連邦政府が怠り、ブッシュが堤防整備予算をさらに削ったことや、FEMA(連邦緊急事態管理局)が9.11以前からニューオーリンズでハリケーン災害が起きる危険性の高さを報告していたことや、石油採掘や都市化が地盤沈下をひき起こして被害を増大させたことなど、いろいろニュースになっているから、これが「自然災害」などと言えないことは明らかだ。9月2日のニューヨーク・タイムズに載った経済学者クルーグマンの記事を読んでみてほしい(邦訳つき:http://stjofonekorea.blog6.fc2.com/blog-date-20050903.html)。地元のタイムズ・ピカユン紙は、2002年に特集を組んでハリケーン災害の被害を推定し、逃げられない人びと(車を持たない貧困層、高齢者、障害者)を脱出させるバスの不足なども指摘していた(http://www.nola.com/)。

ブッシュ以下の統治者たちが、大多数黒人の貧困層や弱者を気づかわなかったのは、涙声で訴える彼らの惨状が全世界のテレビに映し出されるまで、国内にもいる貧しい人びとのことを考えたためしがなかったからだろう。奴隷制以来の人種差別の歴史も背景にあるだろうが、中・上流と貧困層が二極分解化した現在、貧しい人びととまったく接触のない統治者には彼らが「見えない」のだ。レーガン以来の社会福祉の縮減と自由競争の謳歌により、彼らにとって貧困層・弱者は存在しなくなった。萱野稔人氏が『国家とはなにか』(いとうせいこうさんの8月1日の日記で紹介)でドゥルーズ=ガタリの説をもとに指摘しているように、現在の「国家は、住民全体の生存の『面倒をみる』ような役割を放棄または喪失していく」(269ページ)のだ。

国内の批判が高まってきたので、ブッシュと連邦政府はようやく救援に腰を入れだしたようだが、これが数週間や数ヶ月の緊急事態ではないことがわかっているだろうか? すべてを失った人々が、テキサス州にはすでに23万人避難した。数十万人もの避難民は、これからどうやって生きていくのだろう? 乳幼児、病人、高齢者などのケアや、子どもの学校はどうなるのだろう? 住む場所と仕事をどうやって見つけられるのだろう? ヨーロッパで戦争の際に大規模な人の移動が起きたときのことを思うと、今回のハリケーン災害は戦争に匹敵するクライシスだろうと想像がつく。統治者と呼ばれる人々がやるべきことは、ガソリンをしばらく節約しましょう程度の勧告や復興の口約束ではなく、長期的で全面的なビジョンにもとづいた避難民対策をたてることだろう。でもアメリカの歴史には、ネイティヴ・アメリカンを強制的に居住地に閉じこめたこと以外には、大勢の避難民が移動した経験がない上、ブッシュと行政は被災者の救助体制をたてるより先に、食料などを略奪する人間を「撃て」と命じたのだ。人命を救わずに国家の暴力で私有財産を守ることが、統治者たちのいう「民主主義」の本質だって、見えた? 

同様に、「小さい政府」というネオリベ路線とナショナリズムをミックスさせた統治者の、「命をかけて」みたいな空虚な言葉を信じたらほんとうに危ないよね。

❖2005年9月14日
住まいをもつ権利

2012年のオリンピック開催地にパリが選ばれなくて、正直いってほっとした。ここ数年、パリとその近郊の不動産はものすごい勢いで高騰していて、オリンピックまで上がりつづけるという噂だったのだ。パリのアパートの値段は7年間で2倍、1平方メートル平均が4745ユーロ(約65万円)になった。世界の都市の不動産価格ランキングは1位東京、2位大阪、3位ロンドン、4位モスクワ。パリは12位だが、昨年は17位だったのだから相当なバブルだ。つられて、フランス各地の都市や農村部でも不動産の値段は沸騰している。

売りが上がれば当然、賃貸借の家賃も上がる。91年に上梓した本の中でアパート探しに苦労した話を書いたのだが、当時に比べてパリの住宅事情はいちだんと悪化した。安い物件などほとんどなくなったし、たとえいい物件があっても需要が多すぎるため、大家は信用度の高い貸借人(白人フランス人で公務員とか)を望む。1年分の家賃を銀行に凍結したり、未払いの際は代わりに払う誓約書を保証人に書かせたりなど、弱みにつけこんだえぐいやり口が横行している。自力では探せない日本人相手に、相場よりさらに高い住居を斡旋する悪徳同国人もいる。

でも、フランス政府から「学生」向け住居手当をもらっている恵まれた日本人留学生と比べて劇的に悲惨なのは、3Kの労働に携わる移民労働者とその家族だ。パリでは、社会住宅とよばれる低家賃集合住宅への入居希望者が10万世帯以上いる。長いシラク市長時代以来の都市政策と開発業者によって、庶民の住む東側に多かった古い建物はしだいに、低所得者には住めない高値のマンションに代わった。それでも庶民地区には、投機などの事情で荒れたままうち捨てられた建物がたくさんある。2001年以降の左翼連合ドラノエ市政は、不衛生で危険な建物をリストアップし(976件)、修復に多額の予算をあてたが、そうした建物には住居難の移民が住みついたため、修復はなかなか進まない。『ブランディーヌの傷』という映画について書いたとき、不法滞在の外国人が住むスクワット(不法占拠された建物)に触れたが、滞在許可証をもつ移民の中にも、住居を見つけられずにスクワットや長期滞在用のホテル、ホームレス宿泊施設などに住んで、不便な生活をつづける人たちがいる。収入があっても、誰も彼らにアパートを貸したがらないのだ。

今年の4月、「パリ・オペラ」というすばらしい名前の長期滞在用ホテルで火事が起きて、移民家族24人が死亡した。この事故は、移民労働者家庭の境遇と、弱者を餌食にするビジネス(不衛生なぼろホテルなのに、一泊ひとり15ユーロ以上もとっていた)の存在を露呈した。悲惨な事故がまだ記憶に新しい8月末、13区と3区にあるふたつのスクワットでたてつづけに火事が発生し、計24人が死亡した。13区の建物は「不衛生な建物」リストにはなく、3区の建物は2001年からパリ市による修復計画があったが、建物に関する権限をもつ県庁(国の直接管轄)の対応が鈍く、住民たちが望む別の住居は提供されていなかった。火事の原因は建物の欠陥や老朽ではなく、放火などの可能性が高いという。

ところが、サルコジー内務大臣は「不衛生なスクワットの放置」を非難し、「悲劇をストップさせる」ために新学年が始まる9月2日、14区と19区のスクワット2か所から住民140人(全員アフリカ人)が強制退去させられた。明け方に大勢の武装警官が建物に押し入り、有無を言わせず住民を外に放り出したのだ。住民は何も知らされていなかったが、前もって連絡を受けたメディアにより、強制退去の映像はテレビのニュースで流れた。例によって、自分の行動力を誇示したがるサルコジーのスタンドプレーだが、始業日に学校に行けずトラウマを受けた子どもたちや、呆然とした家族の姿に、数多くの人々が衝撃を受け、地元の住民と学校の教員・父母は憤慨した。双方とも建物の危険度はそれほど高くなく、NPOと自治体、県庁による話し合いによって、住民に別の住居を提供する手続きが進められていたのだ。また、スクワットの住民は学校をとおして地域社会になじみ、治安や麻薬などの問題もなかった(皮肉にも、19区のスクワットは「友愛通り」にあった)。

こうして、追い出された人々のために19区の公園に救援テントを設置した赤十字をはじめ、住居難の人々を擁護するNPO「住居をもつ権利」、エマユス(後出)などの市民団体はもちろん、地元の住民たちも差し入れしたり自宅のシャワーを提供したりなど、積極的に彼らを援助した。

この事件はカトリーナの災害報道と同時期に起きたため、共通点が強く印象に残った。サルコジー以下現政府にとっては、貧しい移民労働者家族の生活など関心外で、援助は市民団体や心ある市民に押しつければいいと思っていることが、必要のない強制退去を新学年の始業日に強行した破廉恥な行為にあらわれている。フランスでは2000年に、社会住宅を全住居数の20%以上つくる義務を自治体に課す法律がつくられたが、742市が違反している。サルコジーが前市長を務めたパリ郊外の高級住宅地ヌイイーでは、社会住宅は3%に満たない。1954年の冬、住居のない人々が凍え死んだことに怒ったピエール神父は救済組織エマユスを創始し、国家は60~70年代には社会住宅の建設に力を入れた。90年代以降、国家は住居政策からどんどん手を引き、現保守内閣ではついに住居省が削られた。不動産業者、開発業者、銀行、保険会社などの大資本に「住」が委ねられたから、こんなバブルになったのだ。

住まいは1948年に国連で採択された世界人権宣言第25条で、すべての人に保障された権利だ(http://www.unhchr.ch/udhr/lang/jpn.htm)。一生働いても住まいが持てない状況を許す社会は、人間の尊厳を忘れていると言えるのではないだろうか? わたしたちは子どもたちに、そんな社会を残していいものだろうか?

参考:
・「住居をもつ権利」Droit au Logement (DAL):
http://www.globenet.org/dal/index.php3?page=SOMM
・「エマユス」Emmaus : 
http://www.emmaus-international.org/en/index.php?option=com_content&task=view&id=1

❖2005年9月14日
無意識の像

先週末は「ヨーロッパ文化遺産の日」だった。ふだんは入れない大統領官邸エリゼ宮をはじめ官庁、美術館、廃工場、修道院などをほとんどの場合、無料で一般に開放する行事だ。今年22回目のフランスでは15480か所が公開され、1200万人以上を集めた。今年のテーマは「私は自分の文化遺産が好き」だそうで、現文化省の保守・凡庸性と想像力の欠如があらわれた嘆かわしいスローガンだが、この機会にいつもはなかなか入れない場所に行ってみようと、パリ十四区、つまりわりと近所にある歴史的な精神病院サン・タンヌに足を運んだ。

というのも8月末、『芸術新潮』による「アール・ブリュット」取材のお手伝いをして、美術界の外にいる人びと、とりわけ精神障害者のつくった作品がもたらす強烈なインパクトに衝撃を受けたからだ。「アール・ブリュットとは無意識の像だと思う」と言うフランス人コレクターのブリュノー・ドゥシャルム氏と、日本での展覧会を企画した小出由紀子さんの対談は、とても刺激的でおもしろかった。それで、サン・タンヌ病院に歴史的なアール・ブリュットのコレクションがあると知ったのだが、「文化遺産の日」のプログラムを見ると、サン・タンヌ病院のミュージアムとアール・ブリュット展覧会がのっているではないか。

サン・タンヌ病院が建てられた場所には、17世紀半ばまではペスト患者が収容されていた。その後は農場になったが、第二帝政時代にオスマン知事の命で精神病院がつくられることになった。開院した1867年は、サン=ジャック大通りをはさんだ向かい側に、サンテ刑務所が開設された年だ。ミシェル・フーコーが論じたとおり、19世紀の近代的理性は犯罪人や狂人を隔離し、幽閉したのである(ちなみに双方ともサンテ通りにあり、サンテは「健康、保健衛生」という意味だ)。

で、サン・タンヌ病院のミュージアムは、アール・ブリュットの美術館などでは全然なかった。昔の医療器具や拘束衣、患者をベッドにつないだ鎖などが陳列されている。代々の有名医師の写真と神経外科の発展に関する資料が展示され、精神医学におけるサン・タンヌの業績を紹介する場所のようだ。医師と看護婦、看護士(というより監視)、料理人の写真はあるが、患者が写った写真は1枚もない。唯一置かれた患者の描いた絵には、かつての患者の苛酷な日常の場面がアール・ブリュット的な天真爛漫とした明るさで表現されている。強力鎮静剤が発見された1952年以降、サン・タンヌで拘束衣は使われなくなったが、ガイド役の医学教授の口調からも、ここの主流が反精神医学運動(精神障害は社会の構造的状況と関係すると考え、患者自身が病気を管理する共同体をつくろうとした)や精神分析とは、ひどく遠そうな印象を受けた。

「患者の絵」の展覧会は、別棟にある展示室でやっていた。芸術と精神医学の関係を研究し、サン・タンヌのコレクションを保存・紹介する「表現研究センター」が催したものだ。コレクションには75000点もの作品が保存されているというが、その展覧会には残念ながら、ドゥシャルム氏のギャラリーで見たような強烈な作品はなかった。

薬品や神経外科の発達のみをサン・タンヌの「遺産」にするミュージアムは、合理的・技術的医学(科学)への信奉と、医学界の患者に対する権力・支配の歴史を彷彿させる。でも同時に、最近フランスで出版された精神分析バッシング本にどこか通じるものを感じてしまった。フランスと南米は、知的領域で精神分析がいまだに強い影響力をもつただ二つの地域だという。北米で発達した認知的・行動的セラピーはこのところフランスでも流行ってきていて、この本はそのセラピスト(精神科医・心理学者)たちが精神分析医のヘゲモニーを倒すために書いたものらしい。認知的・行動的セラピーは、孤独、鬱、不安感などの症状を認識、反省、訓練などによって減少させる方法だ。つまり、人間の苦悩を症状のみに還元して治療し、マニュアルどおりに成果を上げようとする。メカニックで実利主義のところがなにか、いまどきの経済思想を思わせるではないか。そこでは、精神分析が築いてきた言語をとおした患者との関係が忘れられている。わたしには精神分析について語れるほどの知識はないが、ひょっとしたら治らないかもしれないものや苦悩が人間の中にあると認識した、興味深い思想だと思う。その複雑さを探求することによって、勧善懲悪的単純な二元論に陥らずにすむといった類の……。

いずれにせよ、今度日本で紹介されるドゥシャルム氏のコレクションには、驚くべき「無意識の像」が溢れているから、ぜひ見に行ってほしい。アール・ブリュットの作家たちは、わたしたちの精神構造とはまったく異なった独自のシステムを再構築した人々だと、ドゥシャルム氏は言う。もっとも遠い他者である彼らの築いた表現が、まるで鏡の中の像のようにわたしたちの心を打つと。(『生の芸術 アール・ブリュット』展 9月27日~11月27日 ハウス オブ シセイドウ)

・ブリュノー・ドゥシャルム氏の活動abcd:http://www.abcd-artbrut.org/
・小出由紀子さんの活動:http://www5d.biglobe.ne.jp/~calico/08-koide/koide-framepage01.htm

❖2005年9月28日
教師の疲労

9月から息子がコレージュ(中学)に通い始めた。幼稚園(幼児学校)3年と小学校5年の初等教育につづいて、コレージュ4年、リセ(高校)3年がフランスの中等教育だ。3歳児(ときには2歳児)から無償の公教育を提供するフランスでは、コレージュに入る子どもたちはもう8年も「学校」に通いなれているわけだが、これからはいよいよお勉強体制というか、宿題もぐんと増えて大変になる。フランスの学校は年に17週間もバカンスがある上、中学の年間授業時間数はOECD加盟諸国の平均より100時間近くも多いため、学校のある時期は1日の就学時間がえらく長い。今年のOECDの教育に関する報告書を見ると、授業時間数と学力は全然比例しないことがわかるのだけれどね(たとえば、日本で騒がれたPISAという学習到達度調査でいちばん成績のいいフィンランドは、年間授業時間数がすごく少ない。フランスの成績は中くらい。参考:http://www.oecd.org/document/34/0,2340,en_2649_34515_35289570_1_1_1_1,00.html)。でも、教育システムや習慣はそれぞれの歴史と文化を反映していて、そう簡単に変わるものではなさそうだから、この国で生きていくにはまず、体力と抵抗力をつけていくしかないのかな、などと思ってしまう。

なにせ、子どもたちのカバン(最近はリュックがほとんど)はあきれるほど重い。教科書もファイル、ノートなどの文房具も、ずっしり大きくて重い。教科書をつくる出版社と文房具メーカーは、何十年と変わらぬ子どもたちの悲鳴と親の不平に耳を貸さずに、頑丈で重い製品をつくりつづける。近頃では日本製や再生紙の軽い文房具も売っているのだから、ノートは各自好きなようにとか言ってくれる教師がいればいいのに、ほとんどの場合「黄色のバインダー、仕切紙12枚、A4大桝のノート、黄色のゴムつきホルダー、200ページのスパイラル綴手帳」などと細かい指定をしてくる。「これってマニアックすぎない?」とぼやくと、つれあいをはじめフランス人は「そう、病的。昔から教師はみんなこうだったよ」と嘆く。無償義務教育法をつくったジュール・フェリーが1880年に、世界で初めて現場の教師に教材を選ぶ自由を保障した国では(だから検定教科書なんてありえない)、教師は教材や文具を指定することによって、自分の城の権威と秩序を固めてきたのだろうか。

で、子どもはそうした環境に適応するのに大変だが、最近の調査によると、教師にとっても学校はひどく疲れるところのようだ。教員組合の今年のアンケートでは、フランスの中学・高校教師の6割近くが肉体的あるいは精神的に疲れきっているという結果が出た。3か月以上の長期病欠は、ここ5年間で13%も増えたという。疲労とストレスの主な原因は、教師に対する親と社会の要請がどんどん大きくなったことだろう。かつて、教師は権威に支えられた知識を伝えるだけでよかった(これは個人的には全然賛成できない教育観だけれど)が、近頃は「教育者」の役割も求められる。家庭で基本的なしつけを受けていないとか、なぜ学ばなくてはならないのかわからないとか、社会的・個人的なさまざまな要因のせいで、教室でおとなしく勉強してくれない子どもが増えたからだ。生徒から言語的・肉体的暴力を受ける教師もいる。また、学校教育に何の将来の展望も期待できない子どもたち(フランスのシステムは、早い時期から「落ちこぼれ」をつくるエリート養成主義だ)を教えるには創意工夫を要するが、教員養成過程でこうした状況に応じたアプローチはほとんどないので、孤軍奮闘するうちにバーンアウトしてしまうこともある。

たとえば暴力にしても「学びからの逃走」にしても、現代の学校が抱える諸問題は、家庭や社会のあり方から生じている場合が多いと思うが、親も社会も自分たちのあり方を問おうとはせず、教師にべったり責任を押しつけたりするから、教師は荷が重くなりすぎるのだ。そして、子どもの才能の芽をつむような因襲的な教師は、自己を問わないから相変わらず生き長らえるけれど、意欲的で誠実な人ほど消耗しやすい。教師には、学校という閉鎖社会から外に出て、さまざまな経験ができる長期活動休暇のようなものを定期的に提供すれば、充電ができるし視野も広がると思うのだけれど、フランスでも日本でも、教育にそんな多額の予算をかけようと提案する政治家はいないだろうな。

フランスでは子ども社会のイジメが原因で不登校になる例は聞かないが、サディスティックな教師に蔑まれ侮辱されてつぶれる子どもは多く、そういう子たちに別の教育の仕方を提供して、農業や工芸などの資格取得に導くNPOもある。でも国の調査によると、11~15歳で「学校は嫌い」と答える子どもの割合は11.9%と意外に少ない。この国の文化のどこかに、学校や教師に対する抵抗力を養う要素があるのかもしれない。それとも、その年頃でもうすでに嘘つきなのかな。

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