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フランス通信(2005年10月)

❖2005年10月4日
マドンナはもうごめんだ

歴史も文化もまったく異なるのに、フランスと日本になぜか共通のとってもいやな習慣がある。政治の世界におけるマチズムだ。アラブ諸国を除いた世界で、日本とフランスほど女性の国会議員の数が少ない国は、発展途上地域にだって珍しい。高等教育を受ける女性の数がこれほど増えて、教師や医者、弁護士をはじめ、女性は多くの職業にかなり昔から進出しているのに、大企業のトップと同様、政治の世界では男のなわばり意識がいちだんと強いのだ。日本では、女性政治家が頭角をあらわすと党内の男性がつぶしにかかったり、メディアと世論からバッシングされたりするが、フランスでも女性政治家は、男なら絶対にありえない誹謗中傷を受ける。元環境大臣のオフィスが農民組合の男たちに荒らされたという、破廉恥な暴力事件まであった。

それでも、ここ20年くらいで女性大臣の数も増えてきたし、議員の男女同数性(パリテ)を促進する法律が1999年にできたフランスでは、人々が女性政治家の存在に少しは「慣れて」きたかに見えた。もっとも、パリテ法は露骨に迂回される。女性候補者は勝てそうもない選挙区をあてがわれ、比例制では上位に男性が大勢並び、法に従わず罰金を払ってまでも男性議員のなわばりを守ろうとする政党だってある。議員ってそんなにおいしい職務なのかと、不信感をあおられるほどだ。

でもまあ、ジョスパン内閣(1997~2002年)の頃からはだんだんと、メディアも条件反射的に女性大臣の容姿をうんぬんするのを控えるようになり、つづく保守内閣で防衛大臣に女性がなっても誰も違和感を抱かなくなった……と思いきや、とーんでもない。男性政治家だけはそうではないことが発覚した。

フランスでは2007年の大統領選挙に向けて早くも、候補者の座をねらう闘いが各政党・陣営内でひときわ激しくなってきたが、「候補者」の志願者は男ばかりだ。共産党のビュフェ書記長、極左から5回連続出馬したラギエをはじめ、緑の党、急進左翼運動など、弱小政党ではこれまでも女性候補者がいたが、第二次投票に残れそうな「本命」の候補者、つまり大政党の公認候補者に、いまだかつて女性はひとりもいなかった。それどころか、候補者の志願者にさえほとんどなれなかったのだ。

だから、社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル(ポワトゥー・シャラント地方議会議長)が雑誌のインタビューで「候補者になる可能性もあるかも」と答えたら、社会党の男たちはいっせいにブーイングした。「美人コンテストじゃないんだ」と言った元大臣までいて、まるで日本の週刊誌並のメンタリティだ。ロワイヤルは、左翼内閣時代に家族省、環境省、教育省など(「女こども向け」といわれる分野だ)で大臣や大臣補佐を勤めてきた。私生活では社会党のオランド第一書記長のつれあいで、4人の子の母。大臣のときに出産してメディアに騒がれたが、これは「フランスでは母性的で美人でないと、女性は政治家になれない」と指摘したシモーヌ・ヴェイユの言葉を想起させる。オブリー、ギグーなど、社会党には他にも大統領候補に立てるベテランの女性政治家がいるが、メディアがロワイヤルに白羽の矢を立てたのは、彼女がいちばん「母性的美人」だからなのか(世論調査の政治家人気投票でも上位)。もっともロワイヤルのほうも、子どもといっしょの撮影に応じたり、やっきになって児童保護政策を提案したり、「母性」を売り物にしている面も強い。いずれにせよ、お隣のスペインでは大臣16人のうち半数が女性、ドイツでもメルケルが首相になりそうで、イギリスや北欧では何十年も前から女性の首相がいて、アメリカでもヒラリーが大統領になるかもしれないという時代に、フランスのこの状況は嘆かわしい。

そんなのどうでもいいじゃない、と思う女性も多いかもしれない。政治なんて権力闘争ばかりでくだらないし、女の政治家がマシなわけでもないと。たしかに、エリート官僚あがりとか、男の政治家と同じ権力図式にしたがう女性やタレントが議員になっても、政治がマシになるとは思えない。でも政治が腐敗するのは、政界がほとんど世襲のごとく硬直した権力構造になっていて、市民のコントロールが機能しないからだ。本来の民主主義(市民の参加)をとり戻すためには、政界の外にいる人たち、つまり女性も大勢政治に関わったほうがいいと思う。政策は長期の展望と考察を必要とするが、政治家は職業ではなくて「任務」を与えられた市民の代表者なのだ。国政であろうと、交代でクラス委員を務めるような自治感覚があったほうがいい。政治がスペクタクル化しつつある日本においては特に、女性はますますタレントの人気投票のような選挙の肴に使われてしまうのだから。

❖2005年10月11日
ストライキとデモ

先週の火曜日(10月4日)、フランスでは大規模なデモとゼネストが行われた。といっても、かつてのゼネストのように停電になったり、何日も交通機関がストップしたりしたわけではないが、メトロや国鉄、航空機の運行数が減り、街はいつもの「スト・モード」になった。ふだんよりいちだんと混むラッシュ時のメトロに、あの重いカバンを背負って乗るのは大変だから、息子は前夜から学校の近所の友人宅に泊まった。各地で150のデモ、パリでは珍しく全組合の統一デモが行われ、主催者側発表では全国で100万人以上、おそらく70万人強が参加したというから、かなりの規模である。どうして日本のメディアはヨーロッパの社会運動について報道しないのだろう。

スローガンは「雇用と購買力の防衛」。雇用の不安定化、社会保障の後退、年金制度改悪、低家賃住居の不足、購買力の低下……ラファラン内閣以来、政策に対する不満はいろいろつもっている。国営の電力・ガス会社はもうすぐ民営化されることになっているし、郵便局や国鉄など公共サービスがすべて民営化されそうな動向(EUの方針はそう見える)に不安を感じ、反対する人も多い。5月末の国民投票でEU憲法条約が否認されたのには、こうした社会不安、つまり社会福祉国家の理想が崩れていくことに対する批判があらわされていたと思う。ドヴィルパンが首相になってからも、「民意を聞いて」と言いながら、何の理由もつけずに人を解雇できる2年間の新雇用契約が国会で論議もせずにつくられ、失業保険の支給条件が厳しくなり、富裕な階層ばかりに有利な税制改正案が練られている。だからたしかに、労働組合・左翼政党と市民がここでがーんと主張しなかったら、ネオリベ政策は加速的に進むだろう。

デモやストライキがなくなって久しい日本から来た人は、運悪くストに遭遇すると「えっ、そんな不便なことになって、仕事ができないじゃないですか。みんな文句を言わないのですか?」と驚愕する。公共交通機関のストがつづくとたしかにすごく不便で、経済的ダメージもあるが、スト権は基本的な権利だと考えるフランス人は多いから、みんなせっせと歩いたり自転車に乗ったり、そのときばかりは何人かで車に乗り合ったりして移動する。今回のスト・デモの前に行われた世論調査では、左翼支持者や低所得層に限らず、なんと74%の人がこの行動に「共感する」と答えた。フランスの組合組織率は経済協力開発機構(OECD)内で最低で、「こんなに市民が困っています」的な反ストライキ報道が増えたにもかかわらず、社会運動に共感を抱くフランス人がこれだけ多いのは驚くべきことだ。今回の場合は特に、人々の不満がそれだけ高まっているということかもしれない。

というのも今回目立った特徴は、職を失うのを恐れて従業員のストがが稀になっていた民間企業でもたくさんストがあったことだ。それから、管理職がデモに参加した。とりわけ、1240人の解雇が告知されたヒューレット・パッカードのフランス支社からは、大勢のホワイトカラーが「生まれて初めて」デモに参加した。「私たちも、他の労働者と同じく奴隷なのだ」と語ったIBMの管理職のように、リストラの波は我が身にも及ぶことに気がついたというわけだ。

でも、3月10日にすでに同じ趣旨でデモとストライキがあり、数十万人が参加したけれども、ラファラン内閣は政策を変えなかった(前に書いた「連帯の日」だけは改正することになったが)。2年前には年金改革案反対の大規模なストとデモが長期にわたって繰り返し行われたが、強行に可決された。交渉や穏和なデモ、ストでは何も得られなくなったらどうするか? と、最近ではオルタナティブな抵抗方法も模索されているようだ。たとえば、未払いで電気を切られた貧しい家庭に電気を通し、首相官邸など要人の電源を切ったりする秘密部隊がフランス電力にはあるという。シンボリックな行為だけでは、政策を転換させることはできないだろうけれど。

最新の世論調査によると、76%のフランス人が「政治家は自分たちの問題をわかっていない」と答えている。だから街に繰り出すのだろうが、それが政治に何の影響も与えなくなったら民主主義は危くなるのではないだろうか? 署名運動やデモ、ストライキをする人がたくさんいるうちは、社会はまだなんとか健全だといえるかもしれない。

❖2005年10月18日
EUの壁

モロッコの最北部、ジブラルタル海峡岸にあるセウタと、地中海岸のアルジェリア寄りにあるメリリャは、スペインの領土だ。モロッコとの国境には、鉄条網が二重にはりめぐらされている。向こう側の飛び地に入り込めれば、EUという黄金郷に行ける……サハラ砂漠の南から苦しい旅をつづけ、越境斡旋人に大金を払ってここまでたどり着いた大勢のアフリカ人が、高さ3.5~6メートルの鉄条網越えを試みる。9月の末、約500人がセウタの鉄条網を越えようとして国境警備員ともみあい、5人の死者が出た。10月6日、同様にメリリャで約1000人が鉄条網に突撃して、6人が死んだ。8月末に鉄条網への集団突撃が始まり、カメルーン人の少年が死亡して以来、スペイン政府は鉄条網の高さを引き上げ、警備員を増やし、モロッコ側にも警備の強化を求めた。

以前は鉄条網を越えれば、血まみれになっても治療を受けてスペインに留まることができた。以後は防衛に時には実弾も使われるようになり、たとえ鉄条網を越えられても逮捕され、モロッコ側に引き渡されて留置され、そこから手錠をかけられたままバスで砂漠にほうり出される。

モロッコとアルジェリア国境近くの砂漠にさまよう数百人のアフリカ人を、「国境なき医師団」の一隊が発見して警鐘を鳴らした。水も食糧も与えられずに砂漠にほうり出されたアフリカ人の多くは負傷しており、モロッコ警察から暴力を受けた者もいる。彼らはアルジェリア国境まで歩いたが銃を向けられ、引き返した。あるスペインのNGOによると、約2400人がバスでモロッコ南部まで護送されたという。モロッコとの協定があるセネガルとマリの越境希望者(約1000人)は航空機で本国に送還されたが、他の国の人々の受難はつづいている。

ジブラルタル海峡を渡ろうとして海に沈んだアフリカ人の数は、これまでに6500を数えるといわれる。シチリア沖のランペドゥーザ島にも、チュニジアとリビアからアフリカ移民が上陸を試みる。シェンゲン条約に加盟したEU諸国内において加盟国民の通行は自由になったが、第三世界の人々に対する取締まりはずっと厳しくなった。今EUが進めているのはモロッコ、リビア、ウクライナ、モルドヴァなど周辺国に、移民志願者たちの「受け入れ」を肩代わりさせる政策だ。そうした国に援助金を払って国境警備をモダン化させ、収容所をつくらせている。アフリカ人の大量護送の件で国際世論から非難を受けたモロッコの官僚が、「わが国はヨーロッパのゴミ箱ではない」と言ったのには理由があるのだ。移民と亡命者の権利を擁護しつづけているフランスの市民団体GISTIは、「EUは移民と亡命者に宣戦布告した」と批判する。

サハラ以南のアフリカから死ぬ危険をおかしてまで、なぜ彼らはヨーロッパへ来たいのか? 「本当の亡命者はごく一部だろう、貧しいから彼らはヨーロッパに憧れるのだ。しかしヨーロッパは世界じゅうの貧窮を受け入れられない」とEU圏の指導者たちは言う。そして、亡命志願者や不法滞在者を非人間的なやりかたで本国に送り返すことは、以前書いた『ブランディーヌの傷』という映画にも描かれていた。でもGISTIの法学者、クレール・ロディエは言う。「本当の亡命者か経済移民かというふうに、彼らが国を出た理由を明確に分けることはもはやできないのではないでしょうか。飢饉も戦乱も身の危険であり、彼らは保護を必要としているのです」。最近訳したセネガル出身の女性作家、ファトゥ・ディオムの自伝的小説(『大西洋の海草のように』河出書房新社)には、なんとしてでもフランスに行って豊かになることを夢見る貧しいセネガルの若者たちの現実が、サッカーへの情熱を軸にして描かれていた。

EUは第三世界からの移民に対して必死に壁を築いているが、一方では将来の人口(労働力)減少を補うために移民が必要なことは、今年1月に出た委員会の報告書にも書かれている。緊急にスペイン=モロッコ越境問題をとりあげた欧州議会では、問題の根源(アフリカの貧窮)に対処する大がかりな政策(援助だけでなく開発)が必要で、弾圧だけでは何も解決しないことを左右両陣営が認めた。

豊かな国々と第三世界のあいだの圧倒的な不均衡がなくならないかぎり、どんなに壁を高くしても「南」から人々は押し寄せるだろう。貧しい社会の発展には女性の立場の向上が重要な鍵だというUNFRA(国連世界人口基金)の報告書(http://www.unfpa.or.jp/4-1.html、http://www.unfpa.org/swp/index.htm)が出たばかりだが(これはディオムの小説を読むと痛感する)、社会変革には時間がかかる。効果がすぐ見えない長期的な政策だから誰も真剣にとりくみたがらないのだろうが、これはやっぱりちゃんと考えるべきだ。資本と商品と情報が自由に流通するグローバル化した世界で、貧しい人だけは移動の自由を許されず、人間らしく生きることを拒絶されるのは、論理にどこか欠陥があるのではないのだろうか? だってそれではただの弱肉強食で、ますます集中して膨らんだ富に「分けるのはいやだ」としがみついている貪欲なギャングと同じことなのだから。

❖2005年10月25日
過ぎ去らない過去

フランス語に「過ぎ去らない過去」という言い回しがある。不当で犯罪的であったことが検証された史実を直視して、不正や罪を認め、反省することがなかなかできない状態をあらわす言葉だ。もたれて消化できない過去と言ってもいいかもしれない。フランスの場合、ナチスに協力したヴィシー政権下で同国人が行った人道に反する犯罪(ユダヤ系フランス人・外国人に対する差別と迫害、フランスの行政・警察が彼らをナチスの収容所に送って虐殺に加担したこと)がしっかり認識され、たとえば戦後再び官庁に復帰して大臣まで務めた当時のジロンド県事務局長パポンが裁かれるまでには、半世紀もの長い年月を要した。ドゴール派や共産党系のレジスタンス運動によって戦勝国になったフランスでは、戦後すぐに「国全体がレジスタンスをした」という神話がつくられ、大多数がそれを信じたかったからだ。それでも地道に調査・研究・検証を進め、より公正な歴史認識と、なされるべき裁きを要求しつづけた歴史学者や市民のねばり強い活動のおかげで、第二次大戦時の不名誉な過去はだんだんと明確に認識されるようになった。

ところが、植民地支配とその後の脱植民地期については、まだまだフランスの胃にはいろいろもたれて消化できないものがある。植民地の人々に対する人種差別と迫害、経済的搾取、アルジェリア戦争中にフランス軍・警察が行った拷問……アルジェリアはフランス「国内」になっていたため、1999年まで公式には「戦争」ではなくて「事変」という名称が使われていたほどだ(アルジェリアの独立は1962年)。また、フランスは旧植民地から大勢の人々を安い労働力として呼びよせたが、彼ら移民が家族をつくり、第二・第三世代が育つようになっても差別はなくならず、80年代以降は移民排斥を唱える極右の国民戦線の排外主義に一部の人々の思考が汚染された。フランスに住むアフリカ系の若者たち、あるいは海外県アンティルの出身者がフランス社会に不満を抱き、アイデンティティ主張が高まっているのも無理はない。

一方、植民地支配について史実の探求をつづけ、公正な歴史認識を求める人々の活動の成果は、ここ数年で続々と出てきた。アルジェリアでの拷問に関する研究や植民地支配を扱った歴史学者の本がつぎつぎと出版され、旧軍人による拷問の告白・証言が公表され、2002年度バカロレア(高校卒業資格試験)の歴史の問題には「アフリカの旧フランス領土の解放」が出題された(ちなみに「模範解答」ではアルジェリア戦争中の拷問もとりあげられ、脱植民地政策の失敗例と解釈されている)。2001年には奴隷制と奴隷売買を「人道に反する犯罪」と認める法律が可決され、奴隷制の史実を歴史教育のカリキュラムにきちんと取り入れることが定められた。

ところが「恥ずべき史実」が真実とは認めたくない人がいるのはどこでも同じで、そういう人たちは歴史を自分の信じたい立派なものに修正しようとする。彼ら(与党UMPの議員たち)は国会に議員がまばらなときを狙って、海外からの引き揚げフランス人に関する法案に修正案として、「教育カリキュラムは海外、特に北アフリカにおけるフランスのポジティヴな役割を認める」という条項をつけ加えて可決させた。

政党やメディアが気づかなかったこの条項をある歴史研究者が発見し、たちまち歴史学者による抗議団体がつくられた。アルジェリア戦争中から解放戦線を支持していたピエール・ヴィダル=ナケも参加し、現在までに20000人の歴史学者(研究者)、57000人の歴史教師が抗議文に署名を連ねた。人権擁護団体をはじめ市民団体や知識人、教員組合も抗議に加わっている。

国もこれはまずったと思ったのか、ド・ロビアン教育大臣は「植民地支配をさまざまな側面からとりあげる現在の歴史のカリキュラムを変える必要はない。国は公式見解の歴史を押しつけるべきではない」と表明した。ちなみにフランスには国による教科書検定はなく、1880年以来、教師が教材を選ぶ自由が法律で保障されている

フランスでは植民地支配や奴隷売買の歴史をようやく直視し、恥ずべき史実も教えようとしはじめたところだが、日本はと見ると、近代化以降の植民地主義と戦争中に国家と軍隊が行った不正や犯罪を隠蔽どころか美化しようと必死な人たちの戦略・戦術(「ずらし」も含めて)に、メディアを筆頭に多くの市井の人がまんまとのせられている、という印象を受ける。技についてコメントしているうちに、理性も感受性もやられてしまうのではないだろうか? もうコメントをしている場合ではない。

誤りや不正、罪などを隠蔽すると、人や国はいつか、過ぎ去らない過去につかまえられると思う。世界で最も物質的に豊かな国のひとつで、平均寿命も世界一長いという恵まれた日本で、人々が「癒し」に熱中する異様な光景からは、もたれて消化できない歴史の重さが響いてくるような気がするのだ。

参考:靖国訴訟 http://homepage3.nifty.com/seikyobunri/

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