神武夏子公式ホームページ
Kotake Natsuko's MusicLogDiscographyspecialcontactリンク
Official Blog youtube

フランス通信(2005年11月)

❖2005年11月2日
多様性を救おう

少し前に、珍しくいいニュースがあった。10月20日のユネスコの総会で、「文化的表現の多様性の保護・促進に関する協定」が圧倒的多数(賛成148、反対2、棄権4)で可決されたのだ(http://portal.unesco.org/en/ev.php-URL_ID=30298&URL_DO=DO_TOPIC&URL_SECTION=201.html)。これは9.11直後、ユネスコの総会が満場一致で採択した「文化の多様性宣言」の精神を引き継いだものだ。「文化の多様性は交換、革新、創造をもたらす人類に不可欠な共通財産」と謳うこの憲章に文句をつける人はいないだろうが、これを法的な国際協定として具体化するのを阻もうと必死で工作し、反対票を投じたのはアメリカ合衆国だった。

というのも、「文化は商品ではない」という前提にもとづいたこの協定が効力をもつと、たとえば国産映画の制作に国が援助金を出すといった文化保護政策が国際的に保障されるからだ。それは、世界貿易機関WTOなどをとおして、すべての財とサービスの自由貿易化を進めるアメリカの政策を妨げることになる。WTOの前身ウルグアイ・ラウンド交渉(93年)のときから、AV部門はフランスの強い主張によって通商交渉の対象から外されたが、アメリカにとってこの部門は農業や自動車産業よりよほど多額の輸出収入源だ。だから、たとえば年間40%以上国産映画の上映を映画館に課す韓国との二カ国間通商交渉で、アメリカは韓国に国産映画の割合を減らせとプレッシャーをかけている。

ウルグアイ・ラウンドの際にフランスの主張は「文化特例」とよばれ、初めはヨーロッパ内でも孤立していたのだが、「多様性協定」を練る過程ではEUは珍しく一致団結。カナダや第三世界の国々も奮闘し、アメリカはどんどん孤立していった。10月に入ると、ライス国務長官は各国の外相にあてて、この協定が文化政策のもとに人権蹂躙やマイノリティ迫害を正当化する危険性をもち(!)、WTOによる通商の自由化を阻むという手紙(脅迫状?)を送りつけたが、ふだんはブッシュのポチといわれるイギリスと日本でさえ、今回はしっぽをふらなかった。

自由貿易とか自由競争とか「自由」をつけると、独裁者や桎梏と闘って正々堂々と勝負しているみたいで聞こえがいいけれど、それは言葉のぺてんだ。合理的で組織化されたグローバル大企業の市場戦略に弱小企業がたちうちできない状況は、「弱肉強食」とよんだほうがいい。同等な立場の国(人)どうしでなければ自由な関係は成り立たないが、自由を称揚するのは強い立場にある国(人)で、彼らはいかさまや恐喝も憚らない。たとえば、世界の映画入場者数の85%がアメリカ映画を観るようになった裏には、制作からプロモーションにいたる資金的優勢だけでなく、アメリカがブラジルやトルコなどに国産映画擁護政策をやめさせた(経済・軍事援助を打ち切ると脅して)という事情もあるのだ。

もっとも、保護したからといって質のいい文化が育つとは必ずしもいえない。援助金を受けたフランス映画の多くは凡庸だと思うし、保護してしかるべき作品に援助金が出されないこともままある。保護システムというものはえてして腐敗や寄生者を生むものだ。それでも、現在のように圧倒的な強者による独占・寡占が進む状況では、強者がひとり勝ちできないような規則をつくって別の思考や創造をたやさないようにしないと、文化はますます画一化して貧しくなるのではないだろうか。

巨大企業も画一化とマンネリは飽きられることを知っているから、ときには独立独歩の才能を見つけてとりこむことがある。たとえば、先日不幸にも火事に遭ったアードマンスタジオのウォレスとグルミットの新作は、『チキンラン』もプロデュースしたドリームワークス(スピールバーグの会社)の制作・配給だ。粘土の人形をストップモーションで根気よく撮る手づくりの味(1日かかって3秒ぶん!)と、作者ニック・パーク独特のユーモアがきいた秀作なので、ご期待を!(邦題『ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!』、日本公開は来年3月)。ニック・パークも、最近人形アニメの『コープス・ブライド』をつくったティム・バートンも、ハリウッドは一度あたると似たようなアニメ(最近は特に3D)ばかりつくるから問題だと言っている。ふたりは子どもの頃ディズニーも好きだったけれど、パークはウィリス・オブライエンの『キングコング』に、バートンはチェコのカレル・ゼマンに大きな影響を受けたそうだ。

ウォレスとグルミットのように幅広いファンをつかめるものには資本がよってくるが、より少数派のものが存在できるために文化の多様性協定はつくられた。それにしても不思議なのはアメリカの態度だ。かつてローマ帝国は他者であるギリシア文化の価値観を受け入れ、自分のものとして発展した。ネオ・コンの人たちはギリシア・ローマの歴史を一生懸命勉強したと言われるのに統治も戦争のしかたも学ばず、何より他者を全然受け入れられないのはどうしてなのだろう?

子どものときディズニーしか見なかったのかな?

❖2005年11月9日
言葉の暴力 絶望の暴力

10月末にパリ郊外のセーヌ・サン=ドニ県で始まった若者たちによる「暴動」(放火、投石、破壊行為)は一週間後にはフランス各地の都市に広がり、10日後にはパリ市内でも車が燃やされた。これについては日本のメディアも大々的に報道しているが、さまざまな要素が入り混じった複雑な現象だと思うので、状況や背景について書いてみたい。

発端は10月27日、パリの北東郊外にあるクリシー・スー・ボワで、警察の身分検査から逃れるために変電所に隠れた15歳と17歳の若者が感電死した事件だった。その晩、同市の若者たちが警察と衝突したのは、このニュースを知って怒ったからだ。これまでも「恵まれない地区」と呼ばれる貧しい郊外団地では、警察とのいざこざで地元の青少年が死亡する事件がときおり起きており、それをきっかけに集団暴力が発生していた。犠牲者が現行犯で追われていたケースもあるが、罪を犯したかどうか明らかでない場合もある。犠牲者はいつも、フランスに住みついた移民の第二、第三世代である(日本の報道で「移民の若者」と呼ばれているのは正確でない。彼らはほとんど全員フランス生まれだ)。マグレブやブラックアフリカ系の若者たちは、その外観のせいでふだんから頻繁に身分検査を受ける。侮蔑的な態度をとる警官も多いため、警察に対して恐怖と憎しみを抱いている。今回の事故も、サッカーの帰りに警察の身分検査に遭遇した少年たちが逃げたことが原因だった。

最初の晩の暴力行動はだから、「俺たちだって人間なんだ。虫けらのように扱うな」という反応だった。ところが、地元の若者たちの集団暴力がたちまち近郊の市に伝染したのは、サルコジ内相の発言のせいだ。サルコジは翌日の28日、若者たちが盗みを働こうとしていて、警察は犠牲者二人を追いかけていなかったと断言した(後の調査で盗みや破壊行為はなかったことが明らかにされたが、警官は追跡していなかったと担当検事は主張しつづけている)。その3日前に内相は郊外のアルジャントゥイユに赴き、若者たちのことを「社会の屑(racaille)」や「ごろつき(voyou)」呼ばわりしたばかりだった。「ラカイユ」は社会の最底辺の者を見下すものすごく侮蔑的な言葉だ。郊外の若者のあいだでは遊戯的に使われるが、政治家や一国の大臣が使うべきではない。この発言には左翼はむろんのこと、政府内の移民系大臣補佐アズーズ・ベガグも強い非難を浴びせた。サルコジは2002年に最初に内相になって以来、郊外の若者や移民に対して敵対と弾圧の論理を声高に叫び、挑発を繰り返してきた。今回は遂に安全弁がふっとんで、若者たちは挑発に応えたのだ。

セーヌ・サン=ドニ県などの大都市郊外には、戦後つぎつぎと工場が建てられ、工場労働者のために巨大な団地(低家賃集合住宅)がつくられた。移民も大勢住み着いて家族をつくったが、70年代後半以降しだいに工場が閉鎖されると、失業はまず移民を襲った。これら「恵まれない地区」では失業率が15%以上、若者にかぎるとオルネー・スー・ボワ市北部のように44%にのぼることもある。学業に「落ちこぼれる」子も多い。就職口のない青少年(就職でも差別を受ける)の中には非行に走る者が増え、生きていくために麻薬や盗品売買などの並行経済が発達した。犯罪的なギャングはごく一部だが、なわばり意識とマッチョで閉鎖的なメンタリティ、部族的な行動様式に組み込まれる少年が多い。

面目と名声を行動規範とする彼らは、サルコジへの挑戦合戦で名声を高めるためにますます車を燃やし、消防車やバスを襲い……とエスカレートした面がある。暴力行為にはだから、警察やフランス国家に対する少年たちの不満の爆発、グループどうしの手柄競争、悪質なギャングによる破壊など、さまざまな現象が混在しているようだ。また、事件を報道した刺激的なテレビ映像は暴力の波及をあおった。同時に、セーヌ・サン=ドニのブログに「僕らと同じように貧しくて苦労している隣人の車を燃やしても何にもならない」と書いた者がいるように、自分の町の学校や体育館、店を燃やすのは隣人や自分自身を痛めつけることだから、破壊しか表現法をもたない者の絶望的な状況が推し測れるだろう。「彼らをこの不条理な行動規範から外に出すには、大勢のソーシャルワーカーと親身な援助、異なった政策が必要だ」と20年間ソーシャルワーカーをつとめ、郊外団地の若者について本を書いたエンニ氏は言うhttp://www.liberation.fr/page.php?Article=336247
ブログ http://bouna93.skyblog.com/

国家は80年代から郊外の青少年の問題に対処しようとした(90年に都市省設置)が、予算ややり方がとても不十分で、状況は改善されないどころか悪化した。わたしは93年に郊外の若者たちの取材をしたが、その頃に比べて国がさらに手を引いた印象は否めない。地元で若者たちのために補習、スポーツ・文化活動をはじめ、さまざまな援助を実践するNPOへの助成金は年々減り、イスラム教(一部は原理主義)の影響が強まっている。今回の騒動に宗教グループによる操作はないと思う(あるという説も流れている)が、クリシー・スー・ボワのモスクに向かって催涙弾が投げられた事件に警察側が謝罪や説明をしなかったことは、収拾しかかっていた暴力を再燃させた。

ゲットー化した団地に住む移民系少年たちは将来に何の希望ももてず、日常的な差別に不満がくすぶっている。彼らを一部の悪質ギャングやテロリスト志願者といっしょくたにする極右の国民戦線など排外主義者たちにおもねてサルコジは治安をふりかざし、ジョスパン政権が設置した住民との接触をより重視する「近接警察」や地域・学校内の「若者職」をとりやめて、「高圧洗浄機で不良を一掃する」といきまいた。「暴動」は起きるべくして起きたともいえるだろう。

セーヌ・サン=ドニ県の文化企画のひとつに、中学・高校や図書館に作家をよんで創作や朗読アトリエを行う興味深い「作家滞在」がある。現在も同県でアトリエをもつフランソワ・ボンのサイトに、レスリー・カプランという作家が書いたサルコジへの抗議文が載った。「憎悪にもとづいた言語と嘘は、仲を裂き差別するために使われ、暴力的なファンタスムと恐怖を生み、ゲットーをつくる……民主主義において言葉とは、つながりをつくっていっしょに探索するために、すべての人が自由に使えるもののはずだ。あなたのしていることはそのまったく逆である」(部分訳、著者 http://www.tierslivre.net/spip/article.php3?id_article=191

世論調査によると、サルコジに好感をもつ人は57%いるが、63%が「ショッキングな言葉を使った」と感じている。もっとも今となっては、たとえサルコジが話し方を変えても若者たちの怒りは消えないが、感電死した少年たちの濡れ衣をはらうことは必要だろう。でも、10日間の暴力の後にようやく口を開いたシラク大統領の発言もそうだが、政府は治安や共和国の価値を強調するばかりで、共和国の「自由・平等・友愛」から疎外されたと感じている若者たちに届くような言葉が出てこない。カトリーナの災害で貧しい黒人たちが統治者に見捨てられたのと同じく、指導者たちはこれまで彼らの存在を見ようとしなかったから、彼らの苦悩が理解できないのだ。

共和国の理想と権利を貧しい郊外の住民、とりわけアフリカ系の若者たちに事実上提供することができなかったフランスは今、新たな政治を問われている。セーヌ・サン=ドニ県の8市連合の長、パトリック・ブラウエゼックは、大都市郊外の諸問題に公共交通網、雇用、住居、教育、環境、文化などすべての面から真剣に取り組む大々的な政策を要求している。彼はサン=ドニ市で教師や市長をつとめてきた「現場」を知る数少ない政治家のひとりだ。思えば社会学者のブルデューは、93年に出版された『la misere du monde(世界の悲惨)』で郊外の危機的な状況を警告していた。ドヴィルパン首相は11月7日、テレビの会見で郊外の「緊急対策」を発表したが大々的な政策とはいえず、教育に関しては退行的な処置もある。首相はまた懲罰を強調し、場合によっては知事が夜間外出禁止令を出せるようにすると発表した。アルジェリア戦争中に適用された法律である。逮捕された若者たちは詳しい調べもなしに大至急で裁判を受け、続々と刑務所に送り込まれていく(中には無実の者もいるようだ)。ただの悪ガキが「不当」を感じて、刑務所で悪質な犯罪人やイスラム過激派に出会ったらどうなるだろうか?

一方、遂に住民から死者が出てしまった今、恐怖と感情的な反応が助長されて差別主義者のデマゴギーにのせられる人が増えるのではないかと心配だ。植民地支配時代からのフランスの歴史を思うと、「過ぎ去らない過去」の膿はものすごくたまっているのだから……。

追記:11月10日現在、燃えた車の数や逮捕者数が2日つづけて減り、事態は鎮静化に向かっているようだが、これは別に「夜間外出禁止令」のせいではない。パリ近郊など暴力の多発した地区では市長がこれを適用せず、禁止令を出したのはオルレアンなど静かな市だ。若者たちもそろそろ疲れて飽きてきたのと、冷え込んできたからではないか?つづきは来週です。

❖2005年11月16日
社会の亀裂

先週、フランス政府が集会や夜間外出の禁止令を許す1955年の特別治安法というとんでもない措置をもちだす前から、日本からの電話やメールで「だいじょうぶ?」と言ってくる人がいたので、報道というものの難しさをつくづく感じた。800台、1300台と燃やされた車の数が増え、幼稚園や学校の放火が報じられ、ずらっと並んだ機動隊や焼け落ちた建物の写真を見れば、すごい動乱のような印象を受けるのだろうが、カトリーナやましてパキスタンの地震に比べればはるかに規模の小さい事件だ。被害は局所的で同じ場所でつづけては起きず、暴徒が市民に襲いかかってくるわけではなく、機動隊との衝突もそれほど多くはない(かつての学生のデモ隊と機動隊の衝突より、規模も小さい)。パリ市内でも車が燃やされたとはいえ少数だし、在仏日本人の圧倒的多数は「貧しい郊外」には住んでいないから(行ったこともないだろう)、被害に遭った日本人はほとんどいないのではないかと思う。

遠いだけに恐ろしいものに見えるのはフランス人にしても同じで、燃える車や機動隊の画像を連日テレビで見ていると、「なんで軍隊を出さないのか、ドンとやっちまえ」というような反応も起きるようだ(何事もなかった田舎やパリのカフェでのこうした発言を、ラジオ番組で聞いた)。73%が夜間外出禁止令に賛成し、首相の人気上昇という世論調査の結果は、秩序の崩壊を恐れる人々の心情を反映したものだろう。

でも、ちょっと落ち着いて考えてみよう。たとえば車の放火だが、これはだいぶ前からストラスブール市で毎年、大晦日に数十台が燃やされ問題になっていた。ネットで調べてみると、車の放火はとりわけ大晦日や革命記念日の際に全国的な現象になっていて、昨年は年間21400台、今年は10月までに既に約28000台(1日平均約77台)が燃やされたという。「イギリスやドイツではこの1割以下だから、車の放火はフランスの特技だ」とも書かれていた。実際、12~13日の晩、パリ近郊イル・ド・フランス地方で燃えた車は76台だったが、これは「土曜の晩にはふつう」の数字だと警視庁が言っている。車の放火はギャングの抗争にも使われるかなり日常的な犯罪らしいのだ。

むろん、だからたいしたことはないと言いたいわけではなく、短期間にこれほど大量の車が燃えたのも初めてだが(10月末から8000台以上)、車はもっとも手近な破壊対象(自分には得られない移動の自由と所有の象徴?)ということなのだろう。不幸にも、被害者は同じ貧しい地区の住民で、中には中古車を買うために何年も節約した人も多い (中古だと保険はきかない)。幼稚園、学校、体育館、図書館、劇場など、「何もない」と住民たちが嘆く地区にかろうじて存在した公共施設の破壊にいたっては、地区の生活改善に尽力していた少数の人々の活動を踏みにじる行為であり、「哀しい」としか言いようがない。

さて、15日現在の状況は、パリ近郊の暴力は沈静化に向かい、いくつかの地方都市で放火・破壊がつづいている。夜間外出禁止令を出した市のほうがむしろ事件が起きたようなので(リヨンがそのいい例だ。市長は反対だったが知事=国の命なので)、やはりアルジェリア戦争時代の忌まわしい記憶を呼び起こす特別法の適用など逆効果なだけでなく、象徴的にひどいことをしたものだと思う(無意識はこわい)。夜間外出禁止令はなにしろ、ユダヤ人を収容所に送ったあのモーリス・パポン(『過ぎ去らない過去』参照)がパリ警視庁長官だった1961年10月に、「イスラム教徒のフランス人」に対して発効したときのことを思い起こさせるのだから。10月17日、この措置に反対して平和的デモに参加したアルジェリア人を警察は暴力的に弾圧し、数百名(公的には約40人)の死者を出した。
http://17octobre1961.free.fr/index.htm

政府は人々の恐怖感を利用して「厳しい姿勢」をますます強め、既に2600人以上が逮捕された。サルコジには、発端の事件に関する虚偽の発言や暴言を謝ったり訂正したりする気はまったくなく、逮捕者のうち外国人は合法の滞在者でも国外追放されることになった。12日の土曜日、パリでは、差別とサルコジの発言、特別法に抗議するデモが行われ、1000人ほどが参加した(この法律によってパリでも「路上や公共の場の秩序を乱す性格の集会」が土曜の朝10時から日曜の朝8時まで禁じられたのだが、この集会は許可がおりたのだ)。しかし政府は、必要性も効用もない現実離れしたこの特別法の施行を3ヶ月間も延長した。サルコジは、機動隊を暴力の起きた地区に常時おく(!)案を検討中だという。これではたとえ暴力が一時的におさまっても、若者たちの怒りは鎮まらないだろう。

シラク大統領は14日の晩にやっとテレビで演説し、どこの出身であろうとみんな共和国の息子と娘たちである、だから法を守りなさい、親はもっと厳しく教育しなさい、と家父長的な口調で言った(なぜもっと早く出てこなかった?)。差別を取り除く努力や、自治体に20%の低家賃住宅を課する法律(豊かな市では守られていない。『住まいをもつ権利』参照)についても語ったが、本気で取り組む意志があるのだろうか? もっとも重要な政策を要する教育面で、14歳から職業見習いコースを復活させるという退行的な措置を持ち出してきたのをみると、今の政府が問題の深刻さを理解しているとは思えない。

一方、若者たちの暴力が政治的な闘争や社会運動に移行できるかというと、その望みも薄いような気がする。先週も書いたように、これは不満の爆発であるばかりか、ギャング抗争などの混在した多面的な現象でもあり、当事者が言葉で政治的・社会的要求を表現できない事件だからだ。暴力の後ろには「俺を人間として尊重しろ(「リスペクト」は彼らのライトモチーフだから、シラクも使ったが)という叫びがあるが、サルコジを「やってやる」つもりで隣人の車を燃やしてしまうほど、彼らの視野は塞がれているのだ。10月12~13日付リベラシオン紙の「私の日記」でアメリカの作家ラッセル・バンクスは、彼らが「消費者」として以外は社会でまったく不要な存在にされた点が、この暴力の原因のひとつだと指摘している。「教育をちゃんと受けなかった思春期の若者たちは、グローバル経済が製造する無意味でろくでもない商品の消費者となる。人は消費者として以外は自分が社会で何の役にも立たないと感じると、怒り出す。歴史的・思想的語彙を持たないと、彼らはその怒りを自分たち自身やすぐそばの人・物に向けるのだ」(部分訳筆者) http://www.liberation.fr/page.php?Article=337863

郊外の若者たちはフランスでいちばん先にブランド信仰に染まり、最新のナイキを身につけていないと「恥」だと感じるほど自分に自信がない。「恵まれない地区」の若者を対象にしたセーヌ・サン=ドニ県の文化・芸術アトリエに参加したアーティストは、「彼らは自分たちが嫌われていると信じ込んでいる」と言う。(http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-706693,36-709583@51-704172,0.html)とりわけ元植民地からの移民の子孫の場合、親たちの祖国の文化からもフランス社会からも疎外されているというアイデンティティ不安に陥りやすく、日常的な差別は被害妄想的な心情を生み出す。差別はたしかにあるが、被差別者がより弱い者を差別する図式に彼らがはまらないようにするには、つまり徒党を組んで自分のグループとなわばりに閉じこもり、男性優位主義と劣等感にもとづく規範に従わないようにするには、どうすればいいのだろうか?

とにかくまず、教育ではないだろうか。フランスの教育システムは、早い時期からできない子をどんどんふり落とすエリート抽出の機械だ。将来はどうせ失業者だと劣等感をもつ子が、おとなしく勉強するはずはない。保育園や幼稚園(フランスでは3歳から無償公教育)の段階から教育に大幅な予算と想像力を注いで、恵まれない家庭が提供できない言語・情操教育を徹底させるのが、後の問題を予防するための近道だと思う。郊外の教育優先地区の学校には、子どもに自信をもたせて向学心を引き出そうと、ユニークな教育法を編み出している教師もいる。でも「優先」とは名ばかりで、予算も教員数も不足している。これらの地区の教育に本気で取り組むことがいちばんの緊急対策だろうに、「見習いコース」を持ちだしては、「きみたちはどうせ学業には向かないのだから、さっさと働け」と言っているようなものだ。

今回の「暴動」について外国のメディアは、フランスでは共和国の理念である平等主義のもとに人種差別の現実が否認され、アファーマティヴ・アクションのような差別是正対策をとってこなかったと指摘した。また、英米の「多文化主義」に対し、移民に「同化」を要求するフランスのインテグレーション政策は失敗したとも言われた。もっとも英米でも暴動は起きているから、欧米先進国はすべて同様の課題に直面しているといえよう。でも、フランスが人種差別と植民地支配の歴史に目を向けてこなかったことはたしかだ。貧しい郊外の諸問題を民族・文化だけに還元するのは一面的だと思うが、経済的・社会的措置と同時に、差別と植民地支配の歴史を直視して議論し、元植民地からの移民の子孫にアイデンティティのよりどころを与えるような種々の努力が今、求められていると思う。折しも今週は、国営ラジオ局のフランス文化放送で毎日、「植民地支配による亀裂、社会の亀裂」というタイトルで植民地支配の歴史と記憶について特別番組が組まれている。

http://www.radiofrance.fr/chaines/france

culture2/dossiers/2005/colonisation/index.php

もっともこのラジオはものすごくマイナーだから、学校やテレビでもっとどんどんこの問題を扱ってくれるといいのだが。

❖2005年11月23日
抵抗の時代

先週からぐっと冷え込んできたせいもあって、フランスでの若者たちの「暴動」はほとんどおさまった。日本ではとっくに忘れられた事件だろうけれど、いくつか書き加えておきたい。まず、この事件を移民の子孫たちのフランス社会へのインテグレーション問題とだけ捉えるのは誤りだということだ。「ゲットー化した貧しい郊外」に移民系の住民が多いことは事実だが、団地には「白人」のフランス人も住んでいるし、出身別に明確なコミュニティーが形成されていることはめったにないから、これらの団地を「移民のゲットー」に単純化してはならないと思う(トルコ系と中国系は例外的に、かなりコミュニティー意識が強いようだ。また、5月に南仏のペルピニヤンで、移動生活者ロマとマグレバンのあいだに殺傷事件があったが、これも例外的だ)。前にも書いたように、徒党を組む若者たちは、民族よりも出身地区にもとづく同族・なわばり意識に規定されている。それに、国家から見捨てられた同じ貧しい地区に住んでいるからこそ、一部の「白人」住民の差別意識がいっそうかき立てられる面もあるといえよう。極右の国民戦線やサルコジ内相をはじめ保守政権は、彼らの日常的な恐怖感や嫌悪感にとり入って「治安」をふりかざしているのだ。

破壊を行った若者がアフリカ系だけではなかった証拠に、今回逮捕された中で、今のところ最も厳しい4年の懲役を宣告された青年は「白人」だった。フランス北部のアラス市で臨時雇いとして働く彼は、カーペット店と車に放火したことを白状したが、前科のないふつうの青年だ(外出する前に、夕食の皿洗いをしたと北部の地方紙は伝えている)。仲間と外でおちあい、エスカレートした場の雰囲気に押し流されて火炎瓶を投げてしまった、というようないきさつらしい。

かつての炭鉱・鉄工業地帯であるフランス北部は、ベルギー、ポーランドなど、まずヨーロッパ各地からの移民が住みついた地方だが、今では「先住民」も移民の子孫も失業にみまわれている。この地方で逮捕された若者の半数以上は、肌の白いフランス人だと報道されている。肌の色だけでなく、どこに住んでいるかでも若者たちは差別されるのだ。それにしても、負傷者のない放火事件で懲役4年とは、異常に厳しい「見せしめ」の刑だ。赤字会計を偽造したりして工場を閉鎖する悪徳経営者は、解雇された何百人もの従業員の人生を破壊しても刑務所に行くことはないが、法は財産を破壊する者に対しては厳しい。

サルコジは3000人近くの逮捕者について、「75~80%は既に悪事を働いた若者」と決めつけたが、各地の大審裁判所の判事は、大多数は前科をもたないと報告している。イスラム過激派もいなければ、親分格の麻薬のディーラーもひっかからなかった。つまり、緊急事態法など適用する危機はどこにもなかったのに(そしてそれはすぐにわかっただろうに)、政府は状況を劇的に演出して人々の恐怖感をあおったような気がする。おまけに、暴力を働いた若者たちと「移民」や「外国人」を混同した文脈を使って、移民政策をますます厳しくする意向だ。「暴力は(アフリカ移民の)一夫多妻制が原因」というめちゃくちゃな発言をした大臣と与党議員までいる。移民政策研究者のパトリック・ヴェイルが「移民の家族呼び寄せ措置はすでに厳しくコントロールされているから、一夫多妻は一部の現象だ。若者たちの不満感の原因である社会的要因や政策の不備・失敗を棚にあげて、スケープゴートをつくっている」と指摘したように、こうした発言にはNPOや左翼から強い非難が上がったが、テレビなどで大々的に暴言が流されると(反論があとで報じられても)、一部の人々の頭に虚偽のイメージが刻まれてしまう恐れがある。

先週、若者たちの暴力の原因のひとつは、「消費者」として以外は社会でまったく不要な存在にされたからだというラッセル・バンクスの指摘を紹介したが、16日付のリベラシオン紙には、ピエール・ヴィダル=ナケ、クロード・リオジュら歴史学者の意見が載った。ますますアグレッシブな資本主義が構造的に、社会状況の悪化を生んだという指摘だ。貧しい郊外での暴力の爆発は、もとをただせばネオリベラル経済による社会的格差の増大が原因なのだから、問題を民族化せずに、世界規模で解答を見つけていかなくてはならないと述べている。「少年たちの暴力は、この資本主義の粗暴な価値観の内面化にすぎない。彼らはなぜ公衆電話ボックスを破壊し、自分の携帯電話(コミュニケーションの私企業化の象徴)を壊さないのか?」 http://www.liberation.fr/page.php?Article=338679

社会から排除されるのが移民系の若者たちだけでないことは、パリの街を歩けば(高級ブティック街以外では)ホームレスを必ず見かけることからもわかる。そのほとんどは「白人」で、近年とみに若者や女性が増えてきた。フランスには住居を持たない人が約20万人(路上生活者は10万人)いると推定されている。パリの路上には常時1万~1万5000人が生活し、2万~3万人は一時宿泊施設に寝泊まりしている。アルコールや麻薬中毒、精神的障害を抱える人も多い。

今年フランスでは2件、小児性愛犯罪の大きな裁判があった(1件は現在再審議中)。いずれも地方都市郊外の貧しい団地が舞台で、幼児・乳児相手の近親相姦が中心の集団暴行・レイプだ。加害者の圧倒的多数は読み書きや弁論が不自由な「白人」で、失業者や臨時雇いなど社会から排除された人々だったが、テレビとポルノビデオは持っていて彼らの生活で大きな位置を占めていた。こうした事件にも、消費者として以外には不要になった(でも、思うように消費できない)者の暴力が、もっとも身近な弱い者に向けられる図式が見えないだろうか?

移民やその子孫だけでなく、ここ30年で社会から排除される人はどんどん増えたと思う。かつての労働者は収入が低くても、労働組合や共産党の地域ネットワークによる連帯に支えられ、人間の尊厳を得ることができたが、働く者は競争や臨時雇いの導入でますます個々に分断され、失業者は孤独に援助金を待つことしかできない。そのあいだにテレビや広告が垂れ流す消費モデルに汚染され、それ以外の価値観に出会う機会もない。自信と尊厳を喪失した欲求不満の人々は、スケープゴートを目の前にちらつかされると飛びつきやすい。こうして、排除された者どうしで憎みあうことになる。殺し合いになる前に、なんとかしようではないか。

あんまり暗い「先見」ではうんざりだろうと思って、11月18日にオープンしたコンテンポラリー・アートの美術館に行ってきた。自宅からちょっと足をのばした南の郊外、ヴィトリー・シュル・セーヌにできたヴァル・ド・マルヌ県立現代美術館 MAC/VALだ。1990年に県議会で美術館設置が決定されてから、15年を経てようやく実現した。スタッフには地元の若者たちを雇い、地域に根ざした文化活動をめざしている。オープニングの週末は無料公開だったので、寒い中を大勢の人々が列をなしていた。その前の週末は、同じく南郊外のマラコフの市立劇場に足を運んだ。今月は、ロレーヌ地方にあった大宇の家電工場閉鎖で解雇された女性たちの証言を戯曲にしたフランソワ・ボンの作品『Daewoo』が上演されていて、その週末は工場や工場閉鎖をテーマに、ボンと数名の作家、演出家などによる朗読のパフォーマンスが催されたのだ。かつて労働者の町として共産党の勢力が強かったパリ郊外では、このように今でも、文化やアートをとおして民主主義を育て、より人間らしい社会をつくろうという考え方が残っている(セーヌ・サン=ドニ県にもさまざまな企画がある)。人々のつながりと「共に生きる」理想が失われると、それもテレビと消費の大喧噪にかき消されてしまうが、この国にはもう傑出した知性がいなくなっても、まだ抵抗者があちこちにいる。

P.S. 21日月曜の晩から、フランス国有鉄道で民営化反対などを理由にストが始まった。リベラシオン紙も大量解雇に反対で22日からスト。今週はそのほかメトロ、教師のストも予定されている。

❖2005年11月30日
新聞の危機

先週、告知されていた国鉄やメトロのストは小規模でおさまったが、思いがけないストが11月21日から始まった。毎日読んでいるリベラシオン紙が、翌日の火曜から金曜までの4日間、発刊されなかったのだ。ストの原因は従業員の15%を上回る人員削減計画。38人の解雇と外部委託によって52のポストを削る案を経営陣が示したためだ。経営不振のリベラシオン紙では今年の春、ロスチャイルドの金融グループが38.87%の筆頭株主となり、リストラが懸念されていた。「経費節減はしない」というロスチャイルドの約束も、9月初めに赤字が660万ユーロにいたるとあっさりふっ飛んだようだ。

全員一致で採択されたストのいきさつや、従業員と読者の批判・意見は、直ちに開設されたサイトに載っている http://www.libelutte.org/  それを読むと、人員削減だけでなく、経営陣の改革案の底に流れる思想に対して、多くの従業員が不安を感じていることがわかる。かいつまんで言えば、経営陣はライバル新聞と同じような売れ筋をめざしているようだが、そうなったらリベの持ち味や独自性、つまり存在理由がなくなってしまうという懸念だ。では、リベの独自性とは何なのだろう?

リベラシオン(「解放」の意)は70年代初頭の左翼運動とジャーナリズムに対する弾圧に憤慨した人々が、大衆のための独立メディアをつくろうと1973年に創刊された。サルトルやフーコーなど当時の左翼知識人も協力し、最初は均一給与、広告なしという「革命的」新聞だった。以後、時代の変遷とともに反体制の過激な姿勢は失われ、広告がどんどん幅をきかせる「ブルジョワ新聞」になった(広告収入が減ったのが現在の赤字の一因)。スト中の読者からのメールには、かつての左翼精神をとり戻すべきだ、ふぬけたブルジョワになりさがったという批判が目立つ。「見出しの洒落以外にフィガロ紙とどこが違うのか!」といった具合に。EU憲法条約の国民投票の際、一部の記者以外は編集陣が大々的にウイの立場をとったことを非難したメールも多い。

「リベは堕落した、つまらなくなった」という批判を、わたしも20年来聞いてきたし、たしかに最近の週末「付録」など消費主義一辺倒だから、そのまま捨ててしまう。では、なぜいまだに読んでいるかというと、見出しの洒落のセンスや写真のチョイスのうまさ、何人かの記者の文面にまだ残っている偉ぶらないユーモアのせいかなと思う。フロランス・オブナのように、臨場感あふれる巧みな筆致をとおして、社会批判や人間のドラマへの深い感受性を表現できる記者もいる。時にはホモセクシュアルや「不法」滞在の外国人、失業者などの主張を大きくとりあげるし、ル・モンド紙のようなまじめでオーソドックスな新聞定型文体からは発せられない社会の息吹が感じられることもある。もしリベが全面的にタウン雑誌みたいになったら、買う気がしなくなるだろう。

5年間で2割近く発行部数が減ったリベラシオンに限らず、近年フランスの日刊紙は苦戦している(ル・モンドは2年間で9%減)。もともと新聞を毎日読む人が少ない上に、インターネット版の発達と、メトロの入口で広告ビラのように配られる「無料新聞」のせいで、わざわざお金を払って新聞を買う人が減ったのだ(リベは1ユーロ20)。現在でも200万部以上の発行部数を保つのは、スポーツ日刊紙のレキップ、地方紙ウエスト・フランスくらいだ。

無料新聞は100%広告収入に頼り、記者がいるにせよ、主要ニュースは通信社の報道をもとに、即席に安上がりにつくられる。90年代にヨーロッパの複数の都市を対象に北欧の企業が始めたもので、パリでは2002年から「メトロ」と「20分」の2種が売られている。読者の3分の2はこれまで全国紙を読んでいなかった人で、49%が15~34歳の若い層、同じく49%が女性だ。記事の執筆よりマーケティングにかける予算のほうが多い媒体だから、経費と時間をかけた取材やチーム作業はできず、読者の嗜好におもねた情報誌的な性質は避けられない。発売当時、有料新聞の存在を脅かすとしてプレス経営者、ジャーナリスト、書籍組合からこぞって大批判を受けたが、ただの新聞を差し出されれば手に取る人は多く、着実に部数を伸ばしている。(参考: http://www.geocities.com/ericdupin/gratuits.html  元リベラシオンの記者が両紙の編集長になっている点も皮肉というか……)

有料の新聞は他のメディアや無料新聞の擡頭によって、存在価値を新たに構築していかなければ生き残れない時代となったが、リベラシオンは68年以降の「時代の雰囲気と精神」を体現しただけに今、幅広い読者をつかむのが難しいのだろう。創刊以来初めて4日もつづいたストは、経営陣が組合側と交渉に応じる姿勢を示したので終了したが、改革案についての議論はサイト上でもつづいている。二番目の株主(18.45%)は従業員全員が共同で所有する「リベラシオン従業員民事会社」であり、ここで選挙された「監査役会」が新聞の独立性を見張り、理事会でも拒否権をもっている。経営危機の中で、ジャーナリストをはじめ従業員の意志はどのくらい尊重されるだろうか? 実地調査と事実の探求に時間と予算をかけるジャーナリズムの魂が生きながらえて、思わず笑える独特のユーモアや、実社会への感受性に優れたリベのスタイルが存続してくれるといいのだけれど……。

return