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フランス通信(2006年3月)

❖2006年3月7日
“操行0点”なんてつけるな!

ああまったく、頭にくることばかり。30年以上フランスに住んでいるけれど、こんなに次々とひどい政策が進められたことは一度もなかったんじゃないかな。労働法を壊す新しい雇用契約の法制化やら、外国人への規制をさらに強化する移民法案やら(いずれもそのうち書くことになるでしょう)、ネオリベとナショナリズムの結びついた反動化という点で、フランスと日本の政府は妙に似てきたような気がする。先週もサルコジ内相がまたもや、とんでもない政策をもちだしてきた。

昨年秋の「暴動」後の人気上昇によって、ますます自信をつけたサルコジのデマゴギーと挑発的な物言いは、とどまるところを知らない。今度は、若者の非行を「3歳以前からの早期発見によって防ぐ」ときた。昨年の9月、国立衛生医学研究所という権威ある公の機関から、子どもの行動障害についての鑑定報告書が発表されたのだが、これがなんともぎょっとするしろものだった。「行動障害のある若者の約半数は、成人したときに反社会的な性格障害をもつ」とか、「生後36か月の健康診断によって、難しい性格や多動、行動障害などの最初の徴候を見つけ出すことができる」とか、サルコジの思考にどんぴしゃりそぐう事柄が書かれていたのだ。これに飛びついた彼は、今月の閣議で発表する非行防止政策の中に、子どもの発達を記す「操行手帳」(ちょっと違うけれどフランス版の「心のノート」?)をつくる案などを練った。

これは危ない、と感じた精神科医、心理学者、精神分析医、小児科医などが早速、「3歳児に“操行0点”なんてつけるな!」と題した署名運動を起こした。「幼児・子どもの成長過程で自然にあらわれる反抗的な行動を病的・反社会的だと解釈し、各自の発達過程から症状だけ切り離してそれを非行の前兆とみなすことは、人間それぞれの成長を考慮した対応を否定し、治療を機械化する」と、署名文は報告書と政府の機械的ビジョンを批判する。「症状をとり除いて子どもを調教する考え方とは逆に、そこにあらわされた子どもの苦悩を認め、多様な治療・解決法を提供すべきである。解答はしばしば医療ではなく、社会的・教育的領域に求められる」と彼らは、社会での「居心地の悪さ」のあらわれをすべて医療と精神医学で解決しようとする思考を拒否する。http://www.pasde0deconduite.ras.eu.org/index.php

子どもの精神的な苦悩や問題は、もちろん早期に見つけたほうがいい。でも、「行動障害のある3歳児が将来非行を働くかどうかは、誰にも予想できない」とネケール病院の児童精神科部長、ゴルス教授は言う。非行は病気ではないのだから、障害イコール非行の前兆という図式は論理に飛躍があるだけでなく、家庭や学校など社会環境の重要性を無視している。怒り、反抗、攻撃性などをとり除くべき「症状」と捉える国立衛生医学研究所の研究者やサルコジは、子どもの成長に接したことがないのだろうか(「反抗期」って常識じゃなかったの?)。3~4歳の頃に、性格障害でもありそうな嫌なガキだと思っていた幼児が優しい子どもに成長する例、そしてその逆もままあることなのだ。注意散漫で落ちつかない幼児や子どもが増えたのには、赤ちゃんのときから寝る時間が遅くて睡眠不足の上、幼稚園や学校に行く前に長時間テレビを見る生活習慣の影響が大きいと、幼稚園の先生たちは言っている。そうした環境をかえりみず、いとも安易に「多動」や「行動障害」といった病名をもちだして個人的な「病気」のせいにする思考には、わからない事柄や標準に合わないものを一見「科学的」な枠組みにはめこんで安心したい親や社会の不安と怠惰だけでなく、すべてを「自己責任」にしてしまうネオリベラルの論理があらわされている(日本で「アスペルガー」という言葉が一般化したのにも、同じような背景があると思う)。

人間の苦悩を症状のみに還元するこのメカニックな思考は、認知的・行動的セラピーの影響によるものだ(2005年9月20日付「無意識の像」参照)。国立衛生医学研究所は、2004年に「精神分析より認知的・行動的セラピーの方が成果が大きい」と鑑定した機関だ。でも、標準から逸れたものを訓練によって矯正し、子どもの精神ケアを非行防止、つまり国家の治安目的の道具に使おうという思考がいきつくところは優生思想ではないだろうか? おまけに、この報告書は認知的・行動的セラピーで成果が上がらない場合は薬品を使うことを奨励している。「まだ脳の構造ができあがっていない4歳以前の子どもに向精神薬(覚醒剤、抗鬱剤、神経弛緩剤など)を与えるのは危険だ」とゴルス教授は懸念する。北米で認知的・行動的セラピーが発達した20年ほど前から、市場には向精神薬が次々と登場した。6歳以上の子どもに「注意散漫を防ぐ」という名目で処方される薬の売上は、この4年間で3倍になったそうだ。

フランスの保育園、幼稚園、小学校には以前から、習得のハンディや行動障害のある子どもに対処するために、心理学者、精神運動訓練者、ソーシャルワーカーなどのネットワークを国が配置している。公立の医療・心理教育センターもあるが、いずれも予算・人員は削られる一方だ(2006年1月31日付「人間になりたい」参照)。子どもの発達に不安を抱く親が増えたせいもあって、病院やセンターの児童精神ケアは何か月も最初のアポを待たねばならないほど混み合っている。無意味で危険な診断にこれらの専門家と予算を使うのでなく、本当に助けを必要としている子どもたちのためにケアのネットワークを質・量ともに充実させることこそ、求められていると思うのだが……。救いは、子どもと接している医療界、教員をはじめ多くの市民が前述の署名文に賛同し、すでに6万5000人以上の署名が集まったことだ(2005年3月7日現在)。サルコジの人気も最近の世論調査では少し落ちた。

不安にかられた親と無責任な政治家たちには、ゴルス教授の次の言葉を噛みしめてもらいたい。「赤ちゃんとして生きる時間を与えられなかった乳幼児は、もろい子どもになる。子どもとして生きる時間がじゅうぶんに与えられないと、もろい若者になる」。親と社会がますます完璧度と競争力の高い子どもを求め、子どもの成長を急がせるほど、行動障害の生じやすい状況がつくられるのだ。心理テストなんかさせないで、まずは子どもとゆっくりつきあおうよ。

参考 http://www.liberation.fr/page.php?Article=36317

❖2006年3月14日
若者の力

春先に多いあられやみぞれ、風を伴うにわか雨を、フランス語で「3月のジブレ」と呼ぶ。3月7日も、そういう冷たい雨が降っていたにもかかわらず、全国160か所で行われたデモには大勢の人が集まった。主催者側によれば100万人、警察発表でも40万人というすごい人出で、デモ隊の大部分を大学生と高校生が占めていた。

デモの目的は、26歳未満の若者を対象にした新しい雇用契約の法制化を阻止することだった。CPE(初採用契約)と名づけられたこの労働契約は、慢性的に高い若者の失業率を下げる名目で考えられた。昨年、フランスの若者(25歳未満)の失業率は22.8%(EU平均18.6%)で、全体の失業率9.6%の2倍以上に及ぶ。

で、経営者に若者を雇おうという気を起こさせるために政府が何を思いついたかというと、企業の社会保障負担額を免除するいつもの手に加えて、「採用強化期間」と呼ばれる2年間、理由を告げずに解雇できるという企業へのプレゼントだ。フランスの労働契約には正規の「無期限契約」のほかに、長期採用を望まない場合は「期限つき契約」や人材派遣会社の臨時雇いが使われるが、近年これら非常勤の採用がどんどん一般化して、雇用は不安定になっていた。そこで、無期限契約の一種としてCPEが登場したのだが、理由もなくクビを切れるのでは、試用期間が2年あるのと同じだ。若者は2年ものあいだ、いつ解雇されるだろうかとビクビクしながら働かなくてはならない。これでは、実質的に働く者の権利を制限し、つぎつぎと新入社員を使い捨てできる「労働法壊し」にほかならないと、労働組合は珍しく一致団結して反発した。

ド・ヴィルパン首相がCPE案を発表したのは1月16日だが、初めのうち世論と若者たちの反感はそれほどでもなかった。失業はフランスの慢性の病であり、若年層のために何かすべきだという思いは強かったのだ。おまけに、すでに昨年8月のバカンス中、CPEと似たCNE(新採用契約)が政令でつくられていた。従業員が20人未満の企業で新たに雇った者を同じく2年のあいだ理由なしに解雇できるというもの(CPEは20人以上の企業に適用され、雇用対象は26歳未満に限られる)で、組合との協議も国会での討論もなく制定された。しかし、CPEは「機会平等法」の一部(!)として提案され、大学・高校の冬休みと試験シーズンを狙って急いで国会で通そうとした(若者たちの反対運動を避けるため)せいか、左翼の討論引き延ばし戦術をおしきって国民議会で強硬に採決された2月9日以降、大学生・高校生の反対運動はどんどん広がった。1月に過半数が好意的だった世論も、3月に入ると6割近くが反対になった。30歳未満の層では8割が反対している。

こうして、3月7日のデモの人数は前回の2月7日から倍増し、各地の大学はつぎつぎとストや封鎖に入った(全国84大学の約半数)。「若者の試用期間を2年に恒久化させる契約なんて許せない。アパートは借りられないし、ローンも組めない」という意見ももっともな上、政府の強硬なやり方に「人をばかにしている」と感じた若者も多いようだ。サルコジに比べればネオリベ度が低そうでソフトなイメージのあったド・ヴィルパン首相の支持率は、世論調査で急降下した。

政府はそれでも譲らず、3月8日の晩、この法案は最終的に採択されたため、大学の封鎖はさらに広がった。3月9日と10日の晩には1968年の5月革命以来初めて、ソルボンヌの建物を学生たちが占拠した。学長は機動憲兵や機動隊を出動させ、カルチエラタンでは大勢の学生と機動隊が対立した。学生たちは力づくで排除されたが、この対応によって彼らの闘志はかえって強まったようだ。次のデモは3月16日、そして18日には労働組合との統一デモが予定されている。

フランスでは1986年と1994年に、大学生・高校生の運動によって保守政権の法案が撤回されている。今回、社会学者などは「最近の若者たちは個人主義が強くて分断されているから、大きな運動にはならないだろう」と見ていたが、予想が外れて大勢の学生・高校生が運動に加わった。昨年の高校生運動のときも政府は、「一部のマニピュレートされた政治的危険分子による運動」だと喧伝したが、今回も学生の運動を必死で矮小化し、暴力的・反民主的だと非難している。政党を信用せず、政治には無関心といわれる今の若者たちが大勢行動を起こしたのは、切実な将来への不安によるものだろうから、彼らを暴力的分子だと誹謗すればするほど政府への反感は強まるだろう。

昨年の「暴動」のときと同様、若者の反抗を徹底的に犯罪化する保守権力の対応は何十年、何世紀たっても一貫して変わらないが、定期的に若者たちから大きな抗議運動が起きて、権力に対する抵抗の文化が受け継がれていくのが、この国のおもしろいところだ。今回のスローガンの傑作は、「鳥インフルエンザ予防のために、鶏(警官のこと)は家に帰れ!」。ソルボンヌにたてこもった学生の中には、置いてあったピアノでバッハのゴルトベルク変奏曲を弾いて、場の雰囲気を和らげた人がいたという(リベラシオン紙より。こういう報道があると、「外部の暴力的分子による破壊」といった学長の言葉を量る材料になる)。メディアに暴力的イメージを流されて怒った学生たちは、総会で「非暴力」を採決し、メディアに対応する広報委員会を設けた。

彼らの運動がどのくらい政策に影響を与えるかはまだわからないが、首相は3月12日の晩にテレビで、改良は加えるがCPEは撤回しないと述べたため、大学のストや占拠はさらに広がり、高校、父母組合にも運動は波及してきた。ソルボンヌの学長とちがってナント、トゥールーズ、ナンテール(パリ第10)大学など数人以上の学長が、政府に法案の撤回と学生側との交渉を求めており、学生の運動が労働組合、再燃している俳優など芸能部門の非常勤従業者(アンテルミタン)の運動、そして広くネオリベ政策に反対する市民運動に結びつく可能性も出てきた。フランス・ガス社の合併・民営化に反対する電気・ガス部門の合同ストは、23日に予定されている。左翼政党も元気を回復した感じだ。

この国の若者たちには力がある。写真に映った彼ら(女の子もすごく多い)の表情を見てほしい。

❖2006年3月21日
不安定と未来の不安

先週書いたCPE(初採用契約)に対する抗議運動は、ますます広がった。3月16日のデモには高校生も大勢参加し、18日土曜の大学生・高校生、労働組合、政党の統一デモの前夜には、全国の大学長の代表がCPE実施の延期と反対側との話し合いを首相に要請したほどだ。

晴天に恵まれた18日のデモには、一般市民もたくさん加わった。主催側の発表150万人、警察発表53万人(全国)だから100万人以上だろう。パリでは約20万人、家族連れなどさまざまな世代が混じり合った壮大な規模だった。工夫をこらしたプラカードを持ち寄り、顔にペイントしたり仮装したりと、創意に富んだアピールを考えるフランスのデモは、楽しいエネルギーに満ちている。

でも、若者たちの元気な抗議のもとにあるのは、昨年の秋、恵まれない郊外で暴力として爆発したのと同じ将来への不安と、社会の中で自分を実現したいという欲求だろう。社会からほとんど排除されている郊外の若者たちとちがって、学生はまだ社会の内側にいるが、「自分も排除されるかもしれないという不安、学歴があっても自分は落伍者だという意識が広がっている」と、パリ第8(サン・ドニ)大学のドミシェル教授は言う。デモで掲げられた「使い捨て思想に反対」というプラカードには、この不安とネオリベラル思想への反発があらわされていた。努力して学歴を積んでも一握りの「勝ち組」にならないかぎり、「人材」は利潤と株価を上げるための因数でしかなく、簡単に切り捨てられることが認識されてきたのだ。若者の職やアルバイトが少なく賃金も低いフランスでは、フリーターとして食いつないでいくことも難しいのが現状だ。だから「フリーター」に相当する表現はなく、臨時雇いや非常勤など安定した雇用につけない状況は「不安定」(プレカリテ)と呼ばれる。今回、いちばん頻繁に使われた言葉は「プレカリテ反対」だった。そして、2年の試用期間中、理由を告げずに解雇できるCPEは、雇用の不安定を制度化するシンボルとして拒絶されたのだ。

若者たちのこの状況をまわりのおとなも実感しているからこそ、世論調査で73%がCPEの撤回や改良を求め、18日は親や退職者も大勢参加する世代を超えたデモになったのだろう。しかし、ド・ヴィルパン首相は自分の政治生命をかけて撤回を拒みつづけているから(戦場に向かうナポレオンのつもりなのだそう)、反対運動は激化している。学生の共闘会議は「機会平等法」全部の撤回を求め、23日には新たなデモが予定され、労働組合は28日にゼネストをよびかけている。

スト・封鎖がつづく各地の大学では、授業再開を望んで封鎖に反対する学生たちとの対立も強まっている。また、デモのたびに機動隊との衝突や破壊行為を目的に集まる者もいるため、運動が内部から「腐る」のを政府は待っているようだ。つづきはまた来週書くことにして、問題になっている「不安定」ということについて、ちょっと考えてみたい。

終身雇用の時代が終わり、現在の経済ではフレキシブルな雇用や労働時間・条件が常識のように言われる。だから「安定」を求めるフランス人は時代遅れだと経済界や指導者たちは嘆く。ネオリベ政策の進んだアメリカやイギリスでは、失業率はたしかに低い。でも、一つの職ではまともに生活できず、2、3の仕事をかけもちする「働けど働けど貧乏」な人が増えている。一方、デンマークでは雇用をフレキシブルにした代償として、解雇された場合に別の職へのフォローや職業教育を保障する制度がつくられたそうだ。これまでの社会常識(安定した仕事について家族をつくり、老後は年金を受ける。つまり未来の設計ができる)をくつがえそうというなら、それに適応できる人間を育てる制度を創出しなければ社会は破綻する。雇用がフレキシブルになっても、教育をはじめ社会制度は枠にはまった人間をつくるようにできているのだから、常に不安定な状況で実力を発揮できて精神の平静を保てるフレキシブルな人間なんて、ごくごく稀だ。それに、未来を描くという人間の特性が否定されたら、自殺や暴力が増加し、出生率は落ち、ストレスで身体や精神を病む人も増えるだろう。だからやっぱり、経済の要請に人間を合わせるのではなくて、人間らしく生きるとはどういうことかという問いから社会を考えるべきなんじゃないだろうか。

❖2006年3月28日
200万人デモにいたるまで

CPE(初採用契約)に対するフランスの抗議運動について先週、楽しいエネルギーに満ちたデモとか書いて写真も載せたけれども、この1週間で状況はかなり緊張感を増してきた。

3月18日のデモの解散後、ナシオン広場で一部の参加者と機動隊の衝突に巻き込まれた労働組合員(SUD-PTT連帯統一民主主義労組、郵便電話業連盟)が、現在昏睡状態にある。彼が機動隊員に殴られ、踏みつけられた場面を目撃した人たちの証言や写真があるが、警察・政府は別の説明を発表し、事実を「調査中」だ。機動隊がすぐに救急を呼ばなかったことは確かなので、家族と労組は訴訟を起こしている。

21日と23日には学生・高校生のデモがあったが、警察への攻撃や破壊、盗みが目的でデモに紛れる若者たち(「壊し族」と呼ばれる)の存在がぐんと目立つようになった。23日のパリのデモには、携帯電話やカメラ、バッグなどを盗むために参加者を襲撃するグループが最初からたくさん出没し、被害が続出した(18日のデモでも、知人がそういうグループにあやうくバッグを盗まれそうになった)。23日は労組のごっつい自治警備係の数が少なかったのと、オーガナイズがゆるかったせいか、車道を歩くデモ隊に沿って両側の舗道を不穏な目つきの若者たちが行き来し、ときおりものすごいスピードでデモ隊の中に入り込み、獲物を囲んで携帯などを剥ぎ取る場面を何度も目撃した。抵抗すると殴る蹴るなど集団暴力を受ける。解散地点のアンヴァリッド広場でも、残ったデモ参加者を彼らは襲撃した。「デモの参加者の一部が暴徒化」と表現した日本のメディアがあるが、近辺の車や店を破壊し、機動隊と応酬したのは、一般のデモ参加者ではなくて「壊し族」だ。

デモ解散時に機動隊への攻撃と破壊を行う政治的な過激グループはいわば伝統的に存在したが、1994年の学生・高校生デモ以来、デモに便乗して商店・車を破壊する「壊し族」が目立つようになり、98年の高校生デモからは参加者や報道陣が攻撃されるようになった。政治的要求がなく盗みが目的だから、「剥ぎ族」と呼んでもいいと思う。23日のデモでは1000人近くいたそうだが、彼らの行動様式を見て大変なことになったと実感した。平和的・開放的な性格が損なわれては、大勢の市民、とりわけ若年・老年層はデモに参加できない。昨年3月8日の高校生デモの際にも「剥ぎ族」は大きな打撃を与えたため、判事などが国会調査会を要求したが調査会は設けられなかった。パリ郊外ヴァル・ドワーズ県のディディエ・ペラ判事によると、同県の駅や電車内などでは「壊し族・剥ぎ族」による同様の行動が目立ってきており、スポーツ・文化イベントが狙われる危険も大きいという。CPE反対運動が郊外の高校に波及して以来、運動に便乗したグループによる破壊や高校への攻撃なども起きている。「壊し族」が警察にマニピュレートされているという説がインターネットなどで流れているが、真偽がどうであれ、抗議運動を弱体化する危険は大きいから、実質的に彼らは政府に協力しているようなものだ。奇妙なことに、逮捕されて軽罪裁判所の即席裁判にかけられ、厳しい刑を受けているのは、機動隊に瓶を投げた程度の学生・若者たちで、23日のデモで脅威をふるった「剥ぎ族」ではないらしい。「壊し族・剥ぎ族」の存在は今後の社会運動において、緊急に考察と対策を要する問題だろう(http://8mars2005.blogspirit.com/)。

さて、CPEにしがみつくド・ヴィルパン首相と五大労組との会見は何の進展もよばず、首相の硬直した姿勢を「自閉的」と形容する人も多い。経営者団体さえCPEが有効な失業対策とは考えておらず、国民の大多数が撤回・改良を望んでいるのに、首相が引かないのは、来年の大統領選に向けて、自分が甲斐性のある政治家であることを証明したいからだと分析されている。つまり、保守陣営でいちばん人気の高いサルコジ内相を抑えて、自分が候補に立ちたいのだ。大学生や高校生が働く者の権利のために現在の学業を放置し、昏睡状態の組合員につづいて23日のデモで重傷を負った若者が入院中で、破壊と暴力が増加してきた状況にいたって、甲斐性ねえ……やっぱりこの30年来で最悪の政府だ。

というような経過で28日火曜の統一スト・デモにいたった。帰ってニュースを見たら、全国で主催者発表300万人、警察発表100万人以上だからおそらく200万人以上の動員! パリではあまりの人数に「剥ぎ族」は活動できず、最後に機動隊と衝突した。反対派のこの大動員にもかかわらず、首相は撤回を拒否している。30日に憲法評議会が「CPEは憲法違反」と判定すれば政府に逃げ道ができるかもしれないが、こんな意固地になって社会危機を引き起こして、どうするんだろう? つづきはまた来週。

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