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フランス通信(2006年4月)

❖2006年4月4日
昏迷また昏迷

今フランスで、若者を対象にした雇用法CPE(初採用契約)をめぐって起きていることは、歴史的に重要な節目かもしれない。政府対学生・労組・反対派市民の全面的抗争にいたったフランス国内の情勢もさることながら、この運動の発した問いは、ネオリベラル経済が世界的に浸透する中、国境を越えた意味をもつと思うからだ。

3月30日に憲法評議会は「CPEは共和国憲法に違反しない」という結論を出した。評議員のうち議長以下7人が保守、2人が左翼によって任命された評議会が、政府に有利な評定を出すことは予測されていたが、この「合法」解釈は矛盾を内包している。なぜなら、2年に及ぶ試用期間中は理由なしに解雇できるという条項は、現行の労働法にも国際労働機関(ILO)の雇用終了条約(第158号。日本は批准していない)にも違反するため、解雇された者は労働裁判所で闘うことができる
http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/standards/st_c158.htm)。現に、昨年つくられた同じ性質のCNE(新雇用契約)によって、はや解雇された人が続々と労働訴訟を起こしているし、破毀院(最高裁判所)はこれまでに、たとえば速記タイピストの試用期間6か月、管理職の試用期間1年を「不当」と判決している。また、ILOの条約は1996年のEUの社会憲章にもとり入れられたため、CPEは欧州司法裁判所に「違法」と判定されるだろう(http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3232,36-750922,0.html)。

他のヨーロッパ諸国は、フランスの騒然とした社会運動にびっくりしたのか、次のような影響もある。ドイツでは保守と社民党の連合政権によって、解雇規制を緩和し、新採用者に対して6か月の試用期間を2年に延長するCPEに似た措置が導入されるはずだったが、延期された。オランダでは、金属業界の経営者連盟がCPEにヒントを得て、23歳未満の従業員を解雇しやすくする措置を2年間試してみようと提案したが、労組も中小企業の経営者連盟もすぐに反発した。よりフレキシブル(不安定)な雇用を要求する現在の資本主義に「適応」するため、長い労働運動によって獲得された働く者の権利を解体する動きが常識になった今、フランスの抗議運動は根本的な問いを発したのではないだろうか。つまり、民主主義国家は、人々が人間らしく生きる権利を保障するという理念を掲げたはずではなかったのかということだ。ネオリベと福祉国家は相反する概念なのだ。

さて、フランス国内について言えば、現行の民主主義制度の機能不全というか、市民の意志が制度に反映されない危機的な状況になっていると思う。同じ与党の前ラファラン政府が、2004年5月に可決した法律で「労働法を変更する前に労組と協議する義務」を定めたにもかかわらず、ド・ヴィルパン首相はそれを無視して、労働関係が畑ではない行政官ひとりにCPE案をつくらせた。そして、担当大臣をはじめ与党内部の反対を押し切り、「機会平等法」の修正案として国会で全法案を強行採決した。その後も独善的で硬直した態度をつづけたため、年金改革では政府側についたC.F.D.T.(フランス民主主義労働同盟)とC.G.C.(管理職総同盟)も含め、全労組が団結してCPEに反対した。学生たちの運動が広がったのも、この反民主的な首相・政府のやり方に反発したところが大きく、「反民主的・暴力的」と中傷されて若者たちはさらに怒った。「必要なら警察の力で高校・大学の封鎖を解け」と口頭で指示し、高校生に賛同する教員は処罰すると脅す教育大臣の言動も卑劣だ。

そして3月31日、シラク大統領は信じがたい演説をぶった。「CPEはいい法律だから発布する。でもみんなの不安の声も届いたから、すぐに新しい法を協議しなさい。2年の試用期間は1年にして、解雇理由がわかるように。それまではこの法律は施行しないように」。首相のメンツを保つために発布するけれど、施行せずに修正法案をつくれということらしいが、その内容まで指定しているのだから、協議に何の意味があるんだ? 日和見主義と分裂症的政治行動で名高いシラクとはいえ、これほど不条理できてれつな言説は前代未聞だと、みな耳を疑った。

4月4日に再び行われた反対派統一デモ・ストは、先週と同様かそれ以上を動員した(主催者側発表300万人以上、警察発表100万人以上)。欧州組合同盟の書記長をはじめ、ヨーロッパ各地からの参加者もいた。若者たちはますます元気づいて、CPEのみならず「機会平等法」全部とCNEの撤回を要求する声も強い。まれに見る共闘体制のもと、労組と学生・高校生組合は今週、与党UMPとの交渉に赴くことになった。与党は新法案を準備するつもりだが、CPEの修正にとどめたいド・ヴィルパン派と、死産のCPEは反故にして、もういい加減泥沼から抜けたいサルコジ派の間で分裂が始まった。

というわけで、今週もまだ先が見えないが、政府も第五共和政の政治機構も、このCPE騒ぎで正統性を失った気がする。そして、この昏迷から何かよいものが生まれるとすれば、それは若者たちのダイナミズムのおかげだ。

❖2006年4月11日
未来@アーティスト

4月10日、政府は若者を対象にした初採用契約CPEを設置する「機会平等法」の条項を、恵まれない若者たちの就職援助を促進する措置に「さしかえる」と発表し、CPEはめでたく消滅した。2か月以上つづいた学生・労組、市民による共闘の勝利だ。今後の展開についてはまたの機会に書くことにして、今週はフランスから外に目を向けてみた。

少し前に、仏独共同文化テレビのアルテ(ARTE)で心に残るドキュメンタリー映画を観た。日本では2004年12月に『ベルリン・フィルと子どもたち』というタイトルで公開されて話題をよんだらしく、DVDも出ているのに、フランスでは公開されなかったので、お隣の国にこんなすばらしい試みがあることを知らなかった。(原題:Rhythm is it! 監督トマス・グルベ、エンリケ・サンチェス・ランチ http://www.cetera.co.jp/library/bp.html 、 http://www.rhythmisit.com/en/php/index_flash.php?HM=1)。2003 年1月にベルリンで上演されたストラヴィンスキーのバレエ『春の祭典』のリハーサル風景を撮ったものだが、通常のリハーサルとはかなり趣きがちがう。このバレエ上演は、当時ベルリン・フィルに就任したばかりのサイモン・ラトルが、振付師のロイストン・マルドゥームと共同で実現させた最初の「教育プロジェクト」だった。ベルリン・フィルの演奏のもと、ダンス・カンパニーと共に小・中・高校の生徒、それもいわゆる「難しい子ども」を大勢含む恵まれない層の若者たちに『春の祭典』を踊らせるという企画だ。

このプロジェクトで踊った7歳から30歳、25か国出身の239人の若者のうち、カメラは3人に焦点をあてて、リハーサルの進行につれて変化する彼らの表情や心境をとらえていく。学業から落ちこぼれそうな14歳のマリー。まわりとうまくコミュニケーションできない19歳のマルティン。戦争で両親を亡くし、6か月前にナイジェリアから亡命したばかりの16歳のオラインカ。振付師のマルドゥームは30年来、エチオピアやペルーのストリート・チルドレンや戦争中のクロアチア、ボスニアの若者たち、教育システムから落ちこぼれた子どもたちなどとダンスのワークショップをしてきたアーティストだ。初めはやる気がなく、集中できない子どもたちのぎこちない挙動が、週を重ねるにつれて鋭敏になり、のびのびとしてくる。でも、共同作業はそう簡単には進まない。プロジェクトが崩壊寸前に陥ったときもある。

少し前に、仏独共同文化テレビのアルテ(ARTE)で心に残るドキュメンタリー映画を観た。日本では2004年12月に『ベルリン・フィルと子どもたち』というタイトルで公開されて話題をよんだらしく、DVDも出ているのに、フランスでは公開されなかったので、お隣の国にこんなすばらしい試みがあることを知らなかった。(原題:Rhythm is it! 監督トマス・グルベ、エンリケ・サンチェス・ランチ http://www.cetera.co.jp/library/bp.html 、 http://www.rhythmisit.com/en/php/index_flash.php?HM=1)。2003 年1月にベルリンで上演されたストラヴィンスキーのバレエ『春の祭典』のリハーサル風景を撮ったものだが、通常のリハーサルとはかなり趣きがちがう。このバレエ上演は、当時ベルリン・フィルに就任したばかりのサイモン・ラトルが、振付師のロイストン・マルドゥームと共同で実現させた最初の「教育プロジェクト」だった。ベルリン・フィルの演奏のもと、ダンス・カンパニーと共に小・中・高校の生徒、それもいわゆる「難しい子ども」を大勢含む恵まれない層の若者たちに『春の祭典』を踊らせるという企画だ。

このプロジェクトで踊った7歳から30歳、25か国出身の239人の若者のうち、カメラは3人に焦点をあてて、リハーサルの進行につれて変化する彼らの表情や心境をとらえていく。学業から落ちこぼれそうな14歳のマリー。まわりとうまくコミュニケーションできない19歳のマルティン。戦争で両親を亡くし、6か月前にナイジェリアから亡命したばかりの16歳のオラインカ。振付師のマルドゥームは30年来、エチオピアやペルーのストリート・チルドレンや戦争中のクロアチア、ボスニアの若者たち、教育システムから落ちこぼれた子どもたちなどとダンスのワークショップをしてきたアーティストだ。初めはやる気がなく、集中できない子どもたちのぎこちない挙動が、週を重ねるにつれて鋭敏になり、のびのびとしてくる。でも、共同作業はそう簡単には進まない。プロジェクトが崩壊寸前に陥ったときもある。

リハーサル光景の合間に流れるラトルとマルドゥームのインタビューがまた、とても興味深い。この映画のサイトに全文が掲載されているので、ぜひ読んでほしい(http://www.rhythmisit.com/en/php/index_flash.php?HM=2&SM=2&CM=17、要約の邦訳:http://www.cetera.co.jp/library/rattle.html)。「音楽は贅沢ではなく、空気や水と同じように必需品だ」と言うラトルと「21世紀のオーケストラ」をめざすベルリン・フィルは、より多くの人に音楽の歓びを伝えようと、さまざまな教育プロジェクトにあたっている。この映画は日本で「児童福祉文化賞推薦作品」に選定されたそうだが、そんなことより「未来@ベルリン・フィル」と命名されたこうした企画があちこちに広まるといいのにと、心底思った。「音楽は人と人を隔てるのではなく、結びつけることができる」というラトルや、「私はソーシャル・ワーカーでもセラピストでもない。自分が情熱をかけているアートをそれを知らない人々に伝え、情熱を分かち合おうとするのは、アーティストの自然な行為だ」と語るロイストンの言葉は、先見という視点からも示唆に富んでいると思う。

彼らのインタビューを読むと、イギリスと北欧では教育に芸術をとり入れる試みがかなり根づいていることがわかる。最近、パリ郊外の高校で演劇ワークショップのクラスを見学したのだが、フランスではラング教育大臣が2001年に導入して発展させようとした「芸術クラス」の予算が、現・前保守政権によって大幅に削られたという逆行ぶりだ。以前からわたしは、学校はもっとアーティストと共同で、演劇、ダンス、音楽、美術などの創作プロジェクトを行えばいいのにと思ってきた。ラトルが言うように、「他者とどうつきあうか、感情をどう表現するか、共同作業をどう行うか」を芸術的プロジェクトをとおして体験することによって、子どもたちは成長するだろう。

今の時代、ますます多くの子どもが疎外感と自信喪失に苦しんでいる。言葉が人と人を結びつけずに他者を排除し、傷つけている。コンテンポラリー・ダンスをはじめアートは、若い世代にいろいろなものを与えることのできる大きな可能性をもっているのではないだろうか。未来アットマークの芸術的教育プロジェクトをあちこちでやってみようよ。

❖2006年4月20日
H5N1防御コート

先週、手に汗を握ったのはイタリアの総選挙だ。ぎりぎりすれすれで中道左派連合が勝った。前からの世論調査や投票直後の調査結果に反して、ベルルスコーニ率いる「中道右派」(ムッソリーニの孫まで出てきてどこが中道?)が後半どんどん追い上げ、一時は優勢になった。結局、25000票差でプロディが勝ったが、自分の陣営に有利になるように選挙法まで変えたくせに、それが裏目に出て負けたベルルスコーニはまだ敗北を認めず、往生際が悪い。これでイタリアも、イラクから軍隊を撤退させるだろう。

さて、今回は鳥インフルエンザの話。フランスにフレッド・ヴァルガスという人気推理小説作家がいるが、彼女が最近、H5N1ウイルスの防御コートを考案した。そういえばCPE反対運動に気をとられてすっかり忘れていたけれど、フランスでも今年の2月中旬、アン県(ローヌ・アルプ地方、スイス国境近く)でH5N1ウイルスにやられた最初のカモの死骸が発見され、その1週間後には近くの農家で飼育されていた七面鳥に感染した。日本政府が即座にフランスからの鶏やフォワグラの輸入を禁止したというニュースが報道されたので、あれまあ、現在すでに商品化されているフォワグラは何の危険もないのにと思ったものだ。

このウイルスは摂氏70度以上の熱や胃液に弱いから、たとえ感染した鶏や卵を食べても危険はほとんどない……と専門家や公的機関から言われても、人々の恐怖と疑惑はそう簡単に払われるものではなく、養鶏部門はダメージを受けている。感染の発覚後すぐ、約300の市町村が「保護地域」に指定され、鶏や七面鳥を屋内に閉じ込めるなど予防対策がとられたが、鶏類の消費量はやはり減ったのだ。

ウイルスにやられたカモはフランスでよく見るマガモやコガモではなく、夏に東ヨーロッパで巣ごもる種類だそうだが、今冬の寒波のせいでもっと西側に逃げてきたものらしい。いずれにせよ、3月から5月にかけてはアフリカやヨーロッパ南部からヨーロッパ北部に向かって、たくさんの野鳥(185種類、約45億羽)が移動する時期なので、専門家は目をこらして観察・監視している。

不思議なのは、飼育舎内に当時すでに幽閉されていた七面鳥が、どうして感染したかだ。11000羽の七面鳥を処分された農家の夫婦は、死んだカモを取材に来た際に農家の中庭に入り込んだ(つまり泥を運んだ)テレビ局の人間、近くをうろついたハンター、トラクターの車輪などを疑っている。でも、メディアの非難がましい取材態度に「まるでペスト患者のように感じた」夫婦は、自分たちに非があったのではないかという自責の念をなかなか追い払えないと語っている。妻は生まれて初めて「心理的サポート」チームの助けを受けたというが、テロなどの経験を生かして、災禍の被害者のために精神的サポートの制度を備えている点で、フランスはまともだと思う。

さて、今のところH5N1は人間に感染しにくいようだが、ウイルスが変異して人間界に汎流行する危険性をWHOや専門家は指摘している。で、フレッド・ヴァルガスが考案したのは、そうした事態が起きた際、自宅に引き籠もりを強いられる非感染者が、買い物などちょっとの間外に出るときに使うウイルス防御コートだ。日本では専用の殺菌マスクが開発されたと聞くが、マスクだけでは微粒状態で大気に噴出されるウイルスは防げないと彼女は言う。そこで、微粒が服や髪の毛、手の上に落ちないよう、頭から足もとまですっぽり被る透明の合成樹脂製コートを考えた。足もとから入る空気だけで行動できるかどうか自宅で試したところ、3時間は息苦しくならないそうだ。それでも息苦しい場合は、首の位置につけたチャックを(人のいないところで)開いて呼吸する。逆に、大勢が集まる場所に行くときは、ベルトを閉めて空気を遮断する
http://www.liberation.fr/page.php?Article=372828

この防御コートを考案するためにヴァルガスは、昨年9月にフランスで初めて鳥インフルエンザの汎流行危機について本を書いた肺病専門家のドゥレンヌ医師と話し合った。もともと彼女は、中世の動物の骨を研究する考古学者なので、ペストについても詳しい。「安価な上、何度も使える点が肝心よ。でも、このアイデアで企業とかに儲けさせたくはないわ。伝染病で大量に死ぬのはいつでも貧しい人だから、そういう人たちのために考えたのよ」と、心意気がかっこいい。

物事、こういうふうに具体的・論理的に考えられれば、わけもなくパニックに陥らずにすむなと思いながら、うちでは鶏肉も鴨肉も食べている。今のところ新たな飼育農場での感染は出ておらず、「ブレスの鶏」はもうすぐ外を駆け回れそうだ

参考:フレッド・ヴァルガスの著書邦訳
『死者を起こせ』東京創元社 藤田真利子訳 2002年
『青チョークの男』東京創元社 田中千春訳 2006年

❖2006年4月25日
「総夢」の力

26歳未満の若者を2年間理由なしで解雇できる初採用雇用契約(CPE)法案を撤回させた運動について、日本の主要メディアで「フランスはグローバリゼーションに適応できない遅れた国だ。いまだにデモやストで政府に対抗して非民主主義的だ」という論調が強かったという。彼らが参照する英米のメディアが事あるごとにフランスをけなし、物事をデフォルメして嘲笑したがる(逆も真かもしれないが)という事情もあるのだろうが、ちょっと反論しておきたい。

まず、これまでも書いてきたように、現代の資本主義が要求する形での「雇用の流動化」を社会の前提条件にすることは、ネオリベラル思考にもとづいた見解だと思う。働く者(人間)の使い捨てに反対した大規模な社会運動の中に「既得権利にしがみつく」古い体質しか見ないのは、ここ十年ほどで地球の各地に別の世界観に支えられた市民運動(オルタナティブ運動)が広まった状況をまったく考慮に入れない狭い解釈だ。英米ではフレキシブル(不安定)な雇用が「働けど働けど貧乏」なワーキング・プアを量産し、とりわけ合衆国では医療、教育、住居など基本的な人間の権利をもたない人も増えているが、それが手本とすべき先進国のあり方だというなら、その理由をあげてほしいものだ。

一方、資本主義が変化し、テクノロジー革命によって生産手段・関係が激変したことはたしかだ。先進国では工場労働者は必要なくなり、サービス業や新テクノロジー分野への「変換」が求められている。失業率が高いのは「簡単に解雇できないから雇わない」という理由よりも、新しいタイプの雇用をつくれない、あるいは新しい業種に転職できない人が多いという事情によるのではないだろうか。そして、その意味でフランス社会の「変換」がうまくいっていないことは事実だろう。

デンマーク、スウェーデン、フィンランドの三国は、フレキシブルな雇用と社会保障を両立させたと評価されている。たとえば、解雇されても十分な保障(失業保険、生活保障、再就職の効果的な斡旋、職業教育)があるため、長期失業の危険が少ない(就業人口に対してフランス3.9% 、スウェーデン1%、デンマーク1.2%)。これら北欧三国の特徴は、若者が早くから仕事の世界に入り(大学に行く前に働くケースも多い)、一生を通じて教育・職業教育を受けることができて、男女ともに長い育児休暇をとれることだ。むろん、これらは労使間の長い協議と、社会保障制度や地方分権化、教育改革など根本的な改革を推し進めた結果であり、とりわけ教育と職業教育に国が大幅な予算をかけている点に注目すべきだろう。GNPに対する国の教育費の割合はデンマーク8.5%、スウェーデン7.7% 、フィンランド6.4% 、フランス5.8%だ(日本はGDPに対する割合で3.5%)。ちなみに、競争主義を排除して自主性と協同作業を重視する北欧の教育は、PISAなどの国際学力調査ですぐれた成績を上げている。

さて、「デモやストで政府に対抗するのは非民主主義的」というのは、労組と協議せずに法案を強行採決するような政府でも従えという形式的合法主義であり、選挙にしか市民の参政権を認めない議会制民主主義の狭い解釈だろう。それに、経験のない人には「デモやスト」は暴力にしか見えないのかもしれないが、これら合法的示威行動は通常、当事者が自主的に組織する「総会」で、討論と投票によって決定される。学生たちの共闘会議は2月18日にレンヌ第2大学で始まり、以後は毎週末、各地を移動して行われた。リール大学での4月2日(7回目)の会議には110の大学の代表が参加し、議論は30時間に及んだ。

デモ、封鎖、長時間の総会といった古典的な社会運動の形態が受け継がれる一方、今回注目されたのはサイト、ブログ、携帯電話に送るSMSメッセージ、メールなどハイテクが機動力になった点だ。そして何より多くのおとなを驚かせたのは、個人主義的で政治に興味がないと言われていた若い世代が、労組や一般市民を巻き込んだ大きなダイナミズムを生み出したことだ。最先端に立ったのは政治意識の高い学生だったが、どの政党・組合にも属さないふつうの学生たちが大勢連帯したからこそ、この運動は力を得た。そして、2003年の年金改革反対闘争に敗れて以来、気落ちしていた労組や左派の市民に希望を与え、世代を超えた大きな連帯を実現させたのだ。彼らが好んだスローガンのひとつは「greve generale(ゼネスト)」をもじった「reve generale(総夢?)」だった。そして「レジスタンス(抵抗)」。そうだよ、人間、使い捨てにされるために生まれてきたんじゃない。みんなで闘えば勝てるんだよ。

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