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フランス6人組の本
『フランス六人組:20年代パリ音楽家群像』

❖本の情報

*エヴリン・ユラール=ヴィルタール(Eveline Hurard=Viltard)
1930年フランスルーアン生まれ。盲目のため少女時代は家庭教師に指示。のちルーアンとパリのコンセルヴァトワールに学ぶ。音楽美学研究家。

*飛幡祐規(たかはたゆうき)
1956年東京生まれ。74年渡仏。パリ大学で文化人類学(修士号)、タイ語を専攻。映画プロダクション勤務を経てフリー・ライターに。通訳、翻訳、各種撮影・取材などのコーディネートにも携わる。在パリ。ピアニスト神武夏子の実妹。

第1次大戦中から1920年代前半のパリに集い、フランス音楽の新しい夜明けを告げた若き作曲家グル-プがあった。ダリウス・ミヨ-、アルチュ-ル・オネゲ-ル、ルイ・デュレ、ジェルメンヌ・タイユフェ-ル、ジョルジュ・オ-リック、フランシス・プ-ランク…彼らは、ムソルグスキ-らの「ロシア5人組」になぞらえて、「フランス6人組」と呼ばれた。

当時のベル・エポック風な、まだ至上主義的な芸術風潮を批判し、彼らは、古典に立ちかえると同時に、より簡素でストレ-トなもの・民衆のなかに生きつづけるユ-モアと知恵に目を向け、つぎつぎと新しい音楽を生みだしていく。

いま再び注目を集める「6人組」の活動を、生きいきと浮かび上がらせた労作。

❖目次

6人組命名のいきさつ
6人組とその時代 1.六人組の歴史
2.「ル・コック」と「雄鶏とアルルカン」
3.六人組は何を語ったか
4.六人組の起源
6人組とその音楽 5.六人組の受けた音楽教育
6.六人組と音楽家
ワーグナー/ドビュッシー/ストラヴィンスキー/シェーンベルク/シャブリエ/サティ
7.六人組の音楽テクニック
メロディー/ハーモニー/リズムと形式/オーケストレーション/韻律法
8.六人組の音楽作品
打楽器としてのピアノ/室内楽/管弦楽/声楽曲/オペラ/舞台音楽/バレエ音楽
6人組とその美学 9.朝の音楽
10.スローガン
11.同時代の画家たち
音楽と絵画/絵画運動
12.同時代の文学者たち
詩人/散文家
結び 六人組精神 コクトーの役割/否定的評論/オネゲールの場合/六人組のもたらしたもの/友情/解体/家族的作風

❖訳者あとがきより

ピアノのレッスンをやめてからもう久しくなるというのに、ピアノを見るとつい鍵盤に手が行ってしまいます。わたしの住んでいるフランスでは、とても古いピアノが置いてあるのに出会うことがあります。家具の一部のようになって調律もされず、音程がかなり狂っていたりしますが、どことなく歴史の扉をたたくような味のある音がします。

一方、日本でピアノを続けていた姉は、数年前から定期的にサロン・コンサートやリサイタルを開くようになっていました。『有終のオルフェたち』というグループのもとに彼女と仲間たちが取り組んでいるのが「フランス六人組」です。姉はメシアン、サティなどのフランス音楽を弾いているうちに、ある時プーランクの曲に出合い、六人組に興味を持ち始めました。そしてすっかり魅せられてしまったのです。折りしも、通常のクラシック演奏会に疑問を抱き、聴衆と演奏家との距離を縮めた肩のこらないサロン・コンサートを仲間たちと模索している時期でした。各自個性の異なった六人組が、画家やコクトーや大勢の友人とともに和気あいあいとコンサートを開いていたことを知り、音楽好きの人々と一緒に楽しみながら音楽を作っていく会を姉たちも始めたのです。そして、あまり知られていないフランス六人組のさまざまな作品を紹介しながら、その音楽のまわりの文化である詩や映画の話をまじえた企画を続けています。ほとんど資料もなく、時には楽譜を見つけることさえ困難な六人組のレパートリーを探るうち、「軽い」と思われがちな六人組の音楽の底がじつは非常に深いものであることがわかってきました。音楽というジャンルを超えてその世界はどんどん広がり、『有終のオルフェたち』の仲間も増えていくようになりました。

そんなわけで、わたしは姉の音楽を通じて六人組に出会いました。フランスにいるのならデュレのこの楽譜をさがせないだろうか、ちょっとこのコクトーの演説を訳してほしい…・何かにつけ六人組に関することを頼まれるようになったのです。すると、それまで気にとめていなかった六人組の音楽が、ラジオや映画音楽の中から鳴り始めました。音楽だけではなく、画家やコクトーの話の中に、映画・演劇の話題の中に、シャネルやピアフのエピソードの中に、六人組はしょっちゅう顔をのぞかせます。音楽家は世事にうとく閉鎖された世界にいると思っていたわたしにとって、これは新鮮な発見でした。そして、音楽や芸術の粋をこえて生きた六人組に、わたしもまた強くひきつけられていったのです。きくと音楽家の友だちの中には、つい最近まで活躍していたオーリックやタイユフェ-ルに会った人もいます。六人組はわたしの住む国の文化の中に生き続けているのです。

そんなある日、この本にめぐりあいました。今まで六人組についてのこれほど充実した書物を目にしたことはなかったので、興奮して著者に手紙を書きました。すぐに届いた返事は、盲目のユラール=ヴィルタール夫人みずからタイプを打ったものでした。

この本は十年にわたる彼女の長い研究の成果をまとめた論文をもとに書かれています。フランスの音楽界では高い評価を受けることなく逸話的に語られてきた六人組の1920年代に脚光をあて、あまり知られていなかった作品を掘りおこし、ラジオ番組や文献にあたり、六人組のメンバーや友人たちとの対談を重ねた著者の仕事に、わたしは深い感銘を受けました。

著者は六人組を、二つの大戦の間の特別なパリの雰囲気の中で流れ星のように輝いた芸術活動の担い手として再評価しています。コクトー、ピカソ、アポリネールをはじめ画家たち、文学者たちの進めた芸術と美学の改革に、サティに続いて六人組も音楽の枠を越えて貢献したことを示し、今まで脇役しか与えられなかった六人組とその作品を生き生きと浮かび上がらせたのです。装飾的なベル・エポック風、ワーグナーに代表される至上主義、安易と空虚に流れつつある印象主義といった当時の風潮を批判して、より簡素でストレートなもの、古典に立ち返ると同時に、民衆の中に生き続けるユーモアと知恵に目を向け、日常性の中に芸術を息づかせようとした六人組は、自分たちの音楽と生き方をもって「エスプリ・ヌーヴォー」を実践したのです。それも排他的な芸術クラブを形成したのではなく、上機嫌と遊戯性の中で新しいフランス音楽の夜明けを告げようとした――著者はこれをヤンケレヴィッチにならって「祭りの朝」の美学と呼んでいます。祭りの朝というどこか懐かしい言葉からは、六人組と著者の音楽と芸術、そして人間への愛のメロディーが軽やかに響いてきます。

六人組の音楽と美学を再評価した著者の論文が本になるまでは、さらに十年以上の歳月が流れました。その間に六人組のメンバーも、著者の恩師ローラン=マニュエルもこの世から去っていきましたが、彼らの陽気な声と意気込みは、音楽とともにこの本の中で爽やかな風を立てています。

音楽の専門家でないわたしがこの本を訳そうという気になったのは、親しみやすい音楽をジャンルや慣習にとらわれずにめざした六人組に共鳴したからです。また、ひたすら聴くだけの音楽ではなく音を楽しむ機会を広げようとしている姉たちの試みに、わたしなりに参加しようという心意気でもありました。そして、点字の資料と耳からの記憶を積み重ねていった著者の仕事を伝え、祭りの朝のメロディーをより多くの人に聴いてもらいたいと願ったからです。最近フランスでも六人組の音楽が流れる機会が増えたようですが、彼らの作品には本当にいろいろな音楽があります。この多様性の尊重こそ、六人組の生粋の「フランスらしさ」だったのだとわたしは思うのです。

1989年(コクトー生誕百年、エッフェル搭百周年)春

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