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フランス通信(2006年2月)

❖2006年2月7日
悪魔の諷刺画

ムハンマドの姿を描いた諷刺漫画への非難と抗議運動がイスラム圏各地に広がっているニュースは日本にも報じられているが、デンマークやノルウェーと共に国旗を焼かれているフランスから、この件についていくつか書いておきたい。

事の始まりは昨年、デンマークの保守系日刊紙、ユランズ・ポステンに、デンマーク人作家から投書があったことに遡る。ムハンマドの生涯についての自分の著書に、挿絵を描こうとするイラストレーターがいないので困る(オランダの映画監督テオ・ファン・ゴッホがイスラム過激派の者に2004年の末暗殺されて以来、自主規制がひどくなったため)という内容だ。これに答えて同紙は「ムハンマドの顔」を公募し、9月30日に12の「ムハンマドの顔」を掲載したのだ。デンマークでは極右政党による反イスラム宣伝が強くなっており、ラジオでもイスラム教徒に対するひどい発言があった。そんな状況を考えれば、そして神と預言者への冒涜に対するイスラム教徒の感受性を思えば、たしかに軽率で無思慮なことをしたものだが、イスラム圏諸国・宗教団体の抗議がエスカレートしたのは今年に入ってからである。

12の諷刺画の中に、爆弾型ターバンを巻いたムハンマドの画があったため、イスラムの創始者をテロリストのごとく描かれて信者が怒ったのは無理もない。でも、イスラムの専門家によれば、もともと預言者を表象してはならないというタブーはなかったという。9~13世紀と17~18世紀に禁止の風潮が強まり、今ではタブーが慣習化した。いずれにせよ、侮辱を受けたと感じたデンマークのイスラム教徒は10月14日にコペンハーゲンで抗議デモを行い、政府の謝罪を求めた。だが、ラスムセン首相は拒否し、イスラム圏諸国の大使との会見も拒んだため、デンマークのイスラム団体の代表団は12月末にエジプトとレバノンに赴いた。その後、奇妙なことにアラブ諸国のメディアはユランズ・ポステン紙に載ったものではない諷刺画を掲載し、デンマーク人がコーランを焼いたというような事実無根のキャンペーンを行った。1月に入ると各地でデンマークへの非難やデンマーク製品のボイコットが広まる。

ユランズ・ポステン紙は無用な挑発をした、デンマーク政府の初期の対応は不器用だったという批判はなりたつが、急に広がった抗議運動が必ずしも事実に基づいていない点、政治的な思惑とマニピュレートがある点に注目すべきだろう。「1989年、イランのホメイニ師がサルマン・ラシュディの『悪魔の詩』にファトワを宣告したのには、アフガニスタンでソ連軍に対してスンニ派戦闘軍が勝利し、イスラム圏での自分の威信が弱まることを恐れたという事情もある。パレスチナの選挙でハマスが勝った今日、アラブ諸国とヨーロッパのイスラム組織はこぞって自分こそ信仰を保証できる存在だとアピールしたがっている」と、イスラム世界の専門家ジル・ケペルは言う。

ユランズ・ポステン紙は1月30日に謝罪・釈明し、デンマークの首相は3日の諸国大使との会談で「諷刺画の掲載は不適切だった」と認めるなど事態の沈静化を図ったが、国としての謝罪は拒んだ。ユランズ・ポステン紙は政府の機関紙ではないし、諷刺画は個人の表現だから当然の解答だと思うが、イスラム圏諸国と教徒たちは国としての謝罪を要求しつづけ、シリアやレバノンでデンマークとノルウェーの大使館・領事館の襲撃・放火というゆゆしき事態にまでエスカレートしている。大使館攻撃やデンマークに対する脅迫的宣言は、過激派の政治的な大衆操作によるようだが、抗議をつづける人々(国)とヨーロッパ社会とのあいだにはなんとも深い溝がある。

ヨーロッパ社会において、個人の信仰の自由と宗教的感受性は尊重されるべきものだが、宗教を諷刺画などさまざまな表現によって批判するのは言論・表現の自由である。その自由が制限されるのは、明白に差別や憎悪、暴力を煽る表現と個人に対する中傷だけで、その場合は表現者や出版元に対して訴訟が行われ、判決が下される。ラスムセン首相が「それは裁判所の管轄」と言うのはだから道理であり、前述のひどい発言を流したラジオは「イスラム教徒差別を煽った」という理由で処分を受けている。12の諷刺画を「差別・憎悪を煽った」と新聞に対して抗議し、謝罪を要求するならわかるが、デンマークの政府や国民、さらには後に諷刺画を掲載した新聞の出た国(それも全部ではなくて主にノルウェー)に対して怒るのは、新聞というメディアや個人を国家と同一視することだ。デンマークやノルウェーの国家、企業や個人が、新聞に載った諷刺画のせいで憎悪や制裁の対象になるとは、どこか思考論理がずれてはいないだろうか? 人が死んだり傷ついたりしたわけじゃないんだから……。

と思うのはわたしが非宗教の価値観と思考にもとづいているからで、宗教による価値観がすべてを統御する政教一致の社会では、「我々は諷刺画によって(それを見ていなくても)深く傷ついた。預言者を冒涜する新聞のある国とその国民はけしからん」ということになるのだろう。でも、宗教に関する検閲を要求するアラブ諸国に対して、ヨーロッパが言論・表現の自由を主張するのは当然の対応といえよう。ヨーロッパの歴史は神や宗教(組織・権力)への冒涜をも経て、個人の思想・行動の自由や人権を確立してきたのだから。

ヨーロッパ各地の新聞では、問題の諷刺画を見せるかどうかで議論がなされ、見解も分かれた。イスラム教徒への配慮からイギリスの新聞はひとつも掲載しなかったが、フランスのフランス・ソワール紙だけでなく、ドイツ、イタリア、スペインなどで何紙もが掲載した(でも、なぜか怒りの対象にはなっていない)。諷刺画の掲載後、脅迫を受けたフランス・ソワール紙では発行人によって編集局長が解雇され、それについて内部批判が起きている。リベラシオン紙は最初、見せる必要はないと判断したが、事が大きくなってきたので経過を説明・分析する特集を組み、参考資料として2点(爆弾ターバンは含まれていない)を掲載した。ル・モンド紙でも同様の事件分析と参考資料としての掲載が行われたが、それに先だって「私はムハンマドを描いてはいけない」と無数に書かれた文字でムハンマドを表したプランテュの諷刺画を掲載した。文章を繰り返し書かせるのは、伝統的な「おしおき」だ。フランス的ユーモアの秀作だと思いませんか(ポートフォリオの9番目)?

コペンハーゲンでは2月5日、「平和的対話」を求める市民のデモが行われた。参加した若い女性が「このままではデンマークのパスポートで外国に行くこともできません」と言っていた。諷刺画は誰も殺さないが、ホメイニ師のファトワによって『悪魔の詩』の邦訳をした五十嵐一氏は日本で暗殺され、イタリア語の訳者とノルウェーの出版者は重傷を負った。グローバリゼーションの難しい側面は、物事の背景や文化から切り離された断片的な情報(誤ったものも多い)が流布されることだ。噂と同じで、人々のファンタズムがかき立てられる。そして残念なことに、怒りや憎しみはなぜか伝染しやすいのに、ユーモアはもっともグローバル化しにくいものらしい。

❖2006年2月14日
奴隷制廃止の記念日

昨年10月25日付「過ぎ去らない過去」、12月13日付「これからの朝の色」でとりあげた「教育カリキュラムでは植民地におけるフランスのポジティヴな役割を認める」という条項(2005年2月23日法第4条)は、どうやらもうすぐ撤廃されそうだ。シラク大統領がドゥブレ国民議会議長に任じた委員会が期限より早く、「これは立法すべき内容ではないから、憲法評議会にそう断定してもらって撤廃すればいい」という結論を提出したのだ。議会での撤廃案は、多数派の与党UMP議員の反対によって既に却下されてしまったため、抜け道を考えたわけだ。シラクは与党議員の反発に対して先手を打って1月30日に演説を行い、「奴隷制・奴隷売買廃止の記念日」を今年から5月10日に定めると述べた。

問題の2月23日法は北アフリカ(とりわけアルジェリア)からの引き揚げ者を対象につくられたものだが、海外県のマルチニックとグアドループでは「恥辱の法律」と命名されて強い反発を引き起こし、フランスの植民地支配と奴隷制の歴史についての議論や、移民系フランス人が受ける差別に対する抗議を激化させた。そこでシラクは、昨年秋の若者たちの暴力にあらわされたフランス共和国への怒りを鎮めるためにも、奴隷制と奴隷売買を「人道に反する犯罪」と認める法律(トビラ法)をもちだしてきたのだろう(海外領ギアナの議員クリスチャーヌ・トビラの提案で2001年5月10日に批准)。与党右派や極右とともに「植民地支配を悔悛する必要はない」という立場をとり、独自の調査会を任命したサルコジの口を封じるという計算もあったようだが、動機はともかく、とんでもない法律が撤廃されるのはめでたい。それに、不名誉な歴史をも直視しようという姿勢を一国の元首が示したのは、特筆に値すると思う。このシラクの演説はなかなかよかった。

「国の偉大さとは、過去の歴史をすべて受けとめることにある。輝かしいページだけでなく、影の部分も……ありのままに見つめよう」

フランスのいつもの「ええかっこし」が鼻につく面もあるが、シラクはヴィシー政権下のフランス国家によるユダヤ人迫害・収容所送りの罪を認めた最初の大統領でもある(それまでは「フランス共和国」は罪を犯さなかった、占領軍のナチスの命令でやむをえずという解釈だった)。これまで悪いことは山ほどしてきているし、最近またとんでもない核抑止論をぶったが、この件と今回の演説、それにブッシュの戦争に反対したことは、シラクの歴史的業績に数えていいかもしれない。

ところで、奴隷廃止記念日をいつにするかについては意見が分かれていた。ユネスコは、サント・ドミンゴ島(現在のハイチとドミニカ共和国)で最初の奴隷の叛乱が起きた1791年8月23日を「奴隷制の記憶とその廃止国際デー」に定めていたが、フランスではバカンス中だから都合が悪い。フランスで植民地における奴隷制が廃止されたのは大革命中の1794年2月4日、国民公会によるものだったが、ナポレオンが1802年に復活させ、二月革命後の第二共和政下、1848年4月27日に再び廃止された。海外県のさまざまな市民団体は、マルチニックで実際に奴隷が自由になった同年5月23日を記念日にすべきだと主張していた。というのも、その150周年にあたる1998年5月23日、パリで「奴隷の子孫」による無言デモが行われて4万人も集めたからだ。この初のデモは、海外県・本土に住む黒人フランス人のアイデンティティ主張の象徴となった。

作家のマリーズ・コンデを長に設けられた「奴隷制の記憶のための委員会」では、すべてのフランス国民が分かち合えるようにと、トビラ法が批准された5月10日を記念日に推薦し、この日付が決まった。昨年11月、「差別と闘い、多様性を促進するために」発足したCran(黒人市民団体代表会議)もこの中立な日の選択に賛成している。いずれにせよ記念日より大切なのは、シラクが約束した奴隷制研究センターの設置だと市民団体や歴史学者らはコメントした。ちなみに、この国立センターを準備する任務はマルチニック出身の作家、エドゥアール・グリッサンに委ねられた。

移民系フランス人は家探しや就職において、また頻繁な身分検査など日常的にさまざまな差別を受けやすく、スポーツとヒップ・ホップ系アートを除くほとんどすべての分野で社会的に高い地位に進出できない。共和国が謳う「平等」に愛想をつかして、人種的・民族的アイデンティティによりどころを求める傾向が強まったのはそのためだろう。差別と闘うためにも、閉鎖的なアイデンティティに閉じこもらないためにも、これまで「忘れられ」て言葉にあらわされなかった過去を見つめることは重要な作業だと思う。フランスの諺にあるように、「遅くても全然しないよりまし」であることを信じて。

❖2006年2月21日
グローバルに考えてローカルに行動する

フランスをはじめユーロランド各地ではユーロ導入以来、おそらく便乗値上げのせいで物価が高騰した。L’INSEE(国立統計経済研究所)によると物価指数はそれほど上がっていないのだが、野菜や果物、カフェで飲むエスプレッソ一杯、メトロの切符といったごく日常的なものの値段がぐっと高くなったのだ。DVDプレーヤーや洋服の値段が中国製のおかげで下がっても、毎日の生活必需品が上がっては暮らしはきびしくなる。現に、フランス人の野菜・果物の消費量は減ったというし、もうレストランに行けないとみんなぼやいている。パリにはお金持ちと旅行者がたくさんいるから、街はあいかわらず賑わっているけれども。

安くて豊富な野菜・果物はフランスや南ヨーロッパのとりえのひとつだったから、りんごやズッキーニが旬の季節に1キロ2ユーロ以上(1ユーロは約140円)するなんて許せない、と買う量が減ったのはよくわかる。それに、値が上がっても生産者が潤ったのではなく、配給網を握る大手の仲介業者や小売が儲けているという。去年の夏には怒った生産者たちがパリに出てきて、野菜・果物を無料で配るという抗議行動があったくらいだ(あいにく、その場に居合わせなかったけれど)。

そんなとき、12区に住む友だちから有機野菜の共同購入の話をきいた。希望者が集まってNPOをつくり、生産者から直接野菜を買って分配するシステムだ。日本の生協のコンセプトがアメリカに輸出され、それを見たフランス人が2001年に南フランスに導入したもので、フランスでは「農業を保持するための会」(AMAP)という名称で各地に広がった。メンバーは一定の期間買う契約を生産者と交わし、毎週、生産者が運んでくる何種類かの野菜を自分たちで量って分配する(例えば、ニンジン500グラム、カブ1キロ、じゃがいも1キロ、サラダ菜1個、テーブルビート500グラム、タイム1束など)。

で、友だちがバカンスのとき、代わりにこの有機野菜をとりに行って食べたのだが、実においしい。丸くも赤くもないトマトのこくのある甘さを知ると、ブルターニュ地方やオランダ産ビニール栽培の「シチリアトマト」は名ばかりだと痛感する。有機だから値段は特に安くはないが、マルシェやスーパーで買うよりすごく高いわけでもない(1回分10ユーロとか15ユーロ)。野菜の種類は選べないが、配給されたものでメニューを考えるのもけっこうおもしろいし、近くでできる季節の野菜・果物を食べるというエコロジカルな考え方も納得がいく。スーパーで売られている食品は、平均2000kmもかけて輸送されているそうだ(りんごや葡萄はフランスで生産しているのに、チリから輸入したほうがたぶん儲かるため、スーパーに並ぶのだ)。もっとも、わたしはまじめなエコロジストではないので、近所の中華食品店でニュージーランド産の「富士」を買ってしまったりもするのだが、なるべくならまともに農業を営む小生産者の食品やワインを買うよう心がけたい、と思うのだ。

調べてみたら地元の13区でもAMAPができたばかりで、秋から野菜の配給が始まるというので早速会員になり、10月から1月まで有機野菜の配給を受けた。13区のAMAPも12区と同様、会員の多くは20~30代の若者たちで、「自然食品系」の人々のちょっと陰気な独特の雰囲気(ごめんなさい)とは無縁だ。生産者の畑に大根やじゃがいもを掘りに行く遠足を催したり、ペルー産のコーヒー豆やパレスチナ産オリーブ油などのフェアトレード(生産者に人間らしく暮らしていける賃金を保証する取引)の製品を共同購入したりなど、いろいろ活動している。1月19日~23日にマリのバマコで開かれた世界社会フォーラム(参考)に参加した会員もいるし、遺伝子組み換え植物に反対する運動の支援や、地区で共同庭園・菜園をつくる企画もしている。エコロジストというより、彼らが自称する「能動的消費者(Consom’acteurs)」という言葉がぴったりの政治意識の高い人々なのだ。「グローバルに考えてローカルに行動する」というATTAC (市民を援助するために金融取引への課税を求めるアソシエーション)のスローガンを実践する若い人が増えてきたのは、嬉しいことだ。傑作なことに、13区のAMAPと契約したパリ近郊の農民は、ロナルド・オーヤマさんという日系ブラジル人である。

ちなみに、「フェアトレード」という言葉は5年前には9%の知名度しかなかったが、今では74%のフランス人がこの運動の存在を知るようになり、モノプリのような大手スーパーチェーンでもフェアトレード製品を扱い始めた。アメリカの巨大食品企業クラフト・フーズがフランス向けに、フェアトレードに見せかけたコーヒーのラベルをつくって売り出したくらいだ。そういう企業戦略にだまされないためにも、できる行為は小さくても能動的に消費したい……まあ、あんまり真剣に考えるとふつうに暮らせなくなるから、ほどほどにだけれども。

参考:http://www.fairtrade.org.uk/
   http://www.maxhavelaarfrance.org/
   http://www.jca.apc.org/attac-jp/japanese/

❖2006年2月28日
鍵をなくした

フランスでは最近、ひどくショッキングな犯罪が起きた。三面記事の域を超えた何か重大なものを感じる出来事だ。

1月21日、パリ市内で働くイラン・アリミという23歳の青年が誘拐された。イランは、パリの南郊外バニユーにある団地内に3週間以上監禁されて暴行を受けた後、2月13日にバニユーから南に15kmほど離れた林の中に瀕死の状態で放置された。それでも歩いて林から出たが、救急車で病院に運ばれる途中、死亡した。

犯行はバニユーに住む若者たちのグループによるもので、45万ユーロ(約6300万円)の身代金を得るのが目的だった。イランの家族は、そんな大金はもっていないと交渉をつづけたが(それは事実だった)、警察が監禁場所をつきとめる前にイランは死亡した。首謀者の25歳の青年はコートディヴォワールに逃げたが現地で逮捕され、共犯とみられる18人がパリで取り調べを受けている(失踪中の共犯者もいる)。

イランはまず団地の一室、それから地下の暖房装置室に監禁された。裸にされ、鼻と口だけ残して顔をテープで覆われ、全身に暴行を受けた。切断の跡などはないにしても、残虐な拷問的行為が繰り返され、放置される直前、全身に引火性の液体をかけられたと報道されている。犯行に加わった17歳~32歳の若者のうち、首謀者とその右腕とされる者以外は、前科のないごくふつうの10代の青年が多いという。彼らのガールフレンドたちが「標的」に近づいておびき寄せる役割を担い、この事件の前にも6人を誘拐しようとしたが、未遂に終わっていた。

犯行の動機はおカネだが、交替で見張り番についていた犠牲者と同じ年頃の若者たちはなぜ、見も知らない無防備な相手に無意味な暴行を加えたのだろうか?(中には、途中で怖くなってグループから抜けた19歳の者もいた)。首謀者の青年は自分を「蛮族のブレーン」と呼んでいたが、盗みなどの前科がある彼にしても、日頃は暴力的な言動をとることはなく、いわゆるギャングの親分タイプではなかったという。

調べが進むにつれて、このグループは2004年以来、パリ南郊外で20人ほどの「標的」を脅迫して現金を強奪しようとしていたことがわかった。「標的」はおカネをしこたまもっていそうな人、社長や医者、弁護士、高級官僚などで、仏独共同テレビARTEの責任者ジェローム・クレマン、「国境なき医師団」の元会長ロニー・ブローマンも含まれていた。文書による脅迫がいずれも失敗したため、グループは昨年末から誘拐を試み始めた。脅迫と誘拐の標的になった人々の共通点は唯一、パリ南郊外に住んでいること。そして、グループに「カネがありそうだ」と判断された点である。

ここで、ある事実が浮かび上がる。イランやロニー・ブローマンなど、標的にはユダヤ系フランス人が何人も含まれていた。警察は初め、犯行の動機はとにかくカネ目当てで、反ユダヤ的要素はないと言っていたが、予審判事は共犯者たちの加重情状として、ユダヤ人差別の可能性を組み入れた。グループが「ユダヤ人はカネもちだから」とイランを標的に選び、ユダヤ系コミュニティは連帯意識が強いから身代金を払うだろうと考えたことがわかったからだ。

「ユダヤ人はカネもち」という古くからの常套句を文字通り信じて企てられた犯行を、ユダヤ人差別・反ユダヤ主義の行為とみるべきかどうかについては、論議が起きている。警察と検察は、宗教的な動機が不在で、グループのメンバーたちの思考レベルが低いことから、明確な反ユダヤのイデオロギーはないと解釈している。しかし、犠牲者の家族やユダヤ系の人々にとっては、イランがユダヤ系ゆえに誘拐され、残虐な拷問を受けた末に殺された事実を見過ごすことはできない。ユダヤ系団体の怒りと不安が高まる中、シラク大統領とドヴィルパン首相はユダヤ教会堂の儀式に参列した。2月26日の日曜には、ユダヤ系団体と市民団体、政党などがよびかけて、レイシズムと反ユダヤ主義に反対するデモがパリで行われ、数万人が参加した。

「ユダヤ人はカネもち」という偏見(ユダヤ系大資本はたしかに存在するが、世界を牛耳る大資本はそれ以外にもあるし、裕福でないユダヤ系の人も大勢いる)にかきたてられ、何世紀にもわたって各地でユダヤ人への迫害が行われてきた歴史を考えると、この事件をただカネ目当ての犯罪に還元することはできないような気がする。元国境なき医師団のロニー・ブローマンのことを金持ちだと思うほど無知で、警察が言うように「思考レベルはゼロ」かもしれないが、そのゼロの思考に「カネもちのユダヤ人を狙う」という条件反射が刻まれてしまった現実を問題にしなくてはならないと思うのだ。近年、フランスではユダヤ系の人々に対しても、またアラブ・イスラム系の人々に対しても差別行為が増加したという報告書が昨年出ている。郊外の移民系の若者が日常的に頻繁に差別を受けることをこれまでに何度か書いたが、その若者たちの一部に反ユダヤ感情が浸透していることにも目をつぶってはならないだろう。社会学者のミシェル・ヴィヴォルカは、日曜のデモにはユダヤ系だけでなく、大勢の市民が参加してすべての人種・民族差別に抗議する姿勢を示してほしいと語った。

事実経過やメンバーについて詳細はまだ報道されていないので、この犯罪を分析することはできないが、ある記事に載っていた彼らの合言葉を見てどきっとした。「鍵をなくした」というその平凡な台詞に、何か本源的な欠損と喪失があらわれてはいないだろうか。

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