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フランス通信(2006年11月)

❖2006年11月7日
ひっかかる言葉

先週、教育改革についての青森でのタウンミーティングで、内閣府が前もって用意した質問を会場から発言させるよう依頼していたこと、つまり「やらせ」が露呈したというニュースがあった。何がなんでも教育基本法を改正したい人々の民主主義感覚の欠如がよくあらわれた事件だが、「市民の声」を装う言論操作がここまで進んでいることにショックを受けた。

その重大さに比べたら些細なことだが、「タウンミーティング」という用語にもひっかかるものがある。恥ずかしながら、小泉政権がこの制度を導入したことをこれまで知らなかったのだが、なぜ「市民との対話集会」とか「市民広聴会」とかの日本語を使わずに「タウンミーティング」なんだろう? と、英和辞典を見てみると、これは米語で「町民集会。町民会(町政に直接関与する資格をもつ有権者の集会)」(ジーニアス英和大辞典)とあり、つまり自治体における直接民主主義の制度のことだ。「市民参加」を強調したくてこの英語をもってきたのかもしれないが、民間の共催団体を募っているとはいえ、レポートを読むとこれが政府主導の「市民との質疑応答」の域を出ていない催しだとわかる。だから「タウンミーティング」という直接民主主義的ニュアンスの名称は、虚偽とまでは言えないが、誇張広告というか、微妙に意味がずれた和製英語ではないかと思うのだ。http://www8.cao.go.jp/town/index.html

それに、「やらせ質問fax問題」に対する内閣府の経過報告をみると、少なくともこの「教育改革」タウンミーティングについては、政府主導の「根まわし似非民主主義」とでも言ったほうがいい。 http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/3f804700cc5ff749855636f2858ab2e9

そんなのどうでもいいじゃん、日本になかった概念なのだから。広聴会とか集会とか言うとごっつくって親しみにくいから「タウンミーティング」のほうがかっこいい……そう思う人も多いかもしれない。でも、政策にいたるまでやたらと(和製)英語を使う傾向には、どこかうさんくささを感じてしまう。ほとんどの日本人は日常的に英語を使ったり英語で考えたりはしていないのだから、その単語のもつ意味が意識に染みとおってこないような気がするのだ。たとえば、「ガイドライン」と言うより「指針」のほうが意味がよく伝わるし、「ノーマライゼーション」は「障害者への差別をなくす通常化」とでも表現したほうが趣旨が明確に伝わるのではないだろうか。

さらに、「子育てにフレンドリー」やら「カントリー・アイデンティティ」やらの妙な英語の使用を見ると、広告代理店の人が政治家の演説を書いているような印象を受ける。これは(和製)英語にかぎらないが、広く国民に向けて語る言葉に対してこれほど無神経で感受性の低い人々が、世の中の乱れは「教育がなってないからだ」と言って、教育基本法を必死に変えたがっているのは、ほんとうに滑稽だ。でも、もう笑っている場合ではない。子どもたちと社会全体の未来に決定的な打撃を与えるだろう「改正」を阻止するために、できるかぎりのことをしよう(「リニューアルの罠」参照)。

❖2006年11月14日
情報に対する市民の権利

先週とりあげたタウンミーティングはその後の内閣府の報告で、教育改革に関する8回の集会のうち5回に「やらせ」が仕組まれていたことがわかった。その責任を追及もせずに、「それと教育基本法改正とは別問題」と答える政府と与党の民主主義感覚とはいったい何だろうか? 14日の教育基本法特別委員会では、タウンミーティング委託業者に5年間で20億円弱も支払い、「協力者謝礼」が決められていたこともわかった。これが政府にとっての「国民の声をきく直接民主主義」だったらしい。http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/971f6bda34a9eeaaf9dcedcf25a260d6

15日の教育基本法特別委員会では野党の抗議にもかかわらず、単独採決にふみきった。

履修漏れやいじめの隠蔽など、このところたてつづけに教育行政の落ち度が浮かび上がってきている。「教育改革」や「教育再生」を連発する前に、行政はそうした現実と向き合って調査や分析をしてきたのだろうか? 「モラルの低下」などと一般論に委ねて、何のつながりもない教育基本法を改正するための世論操作に手間隙をかけずに、まず子どもたちや関係者の苦悩を見つめて誠実な対処を考えるべきではなかったのか?

さて、先週はアメリカの選挙で上・下院とも民主党が勝ち、ブッシュの一方的な力の外交が少し緩和される希望が出てきたが、フランスではショッキングなことがあった。愛読している日刊紙リベラシオン(通称「リベ」)が、いよいよ廃刊になりそうな状況にいたったのだ。1973年にサルトルやフーコーなどの協力も得て創刊されたこの新聞の経営困難について、昨年秋の日記で書いたが(「新聞の危機」参照)、今年の6月末には社長のセルジュ・ジュリーが辞職し、筆頭株主ロスチャイルド(ロチルド)側と「リベラシオン従業員民事会社」の暫定的共同経営となっていた(「夏の緊急体制」参照)。従業員側は、前ル・モンド紙の編集長エドウィー・プレネルと共に再生案を練ったが、ロスチャイルド側はそれを認めず、102~106人の解雇を求めるリストラ案をつきつけてきた。

今年になってリベラシオン紙はすでに55人のリストラを行い、12人が辞職し、現在の従業員数は(フルタイム雇用に換算して)276人だ。さらに100人強も解雇したら、まともな総合日刊紙として成り立たなくなるだろう。このリストラ案を拒否したリベラシオンの従業員たちは、11月13日の理事会を前にした11日、読者と共に緊急事態について話し合うために、本社を開放して討論会を開いた。http://www.liberation.fr/dossiers/liberation/serge_depart/216502.FR.php

土曜の午後、レピュブリック広場のそばにあるリベラシオン本社には、リベに対する思い入れの強い読者1500~2000人が赴いた。新聞の融資についての討論では、たとえばオランダで、テレビのCMに税金を課して新聞の援助にあてている例があげられ、国の供託局が援助をすべきだという意見も述べられた。

国の援助など受けたら国家の御用新聞になってしまうのではないかという懸念に対して、この説を主張するジャン=ピエール・ミニャール弁護士は次のように説明した。

「社会の全般的な情報を提供する日刊紙は、ふつうの企業とはちがって民主主義の基本的価値を追求する。報道の自由は憲法や人権宣言で保障された民主主義社会の基本だが、それは市民の情報に対する権利を意味している。憲法評議会は86年に、市民が『誠実・妥当な(honest)』情報を得るためには、情報の多様性が保障されなければならないとして、複数の総合日刊紙の存在を憲法上の価値と定めた。したがって、国にはこの市民の基本的権利を保障する義務があり、それによって報道の自由が侵されることはない」

市場の自由競争の論理だけに従えば、ますます安上がりに記事をつくる収益性が追求され、広告主や株主の意向に対する独立性が失われ、読者の嗜好に合わせることが求められる。アメリカのロサンジェルス・タイムズ紙では、シカゴのオーナー・グループTribune Companyが20%の利益率を要求して大量のジャーナリストをリストラしたため(6年間で従業員数は5300人から2800人へと減少)、何人もの編集長が辞職している。http://www.cyberpresse.ca/apps/pbcs.dll/article?AID=/20061111/CPMONDE/61111024/5160/CPMOND

この間に発行部数が減ったのは、これほど大量に「つくり手」を削ったために新聞の質が低下したからではないだろうか? 総合日刊紙は消費財ではない。市民社会における公共の利益を提供する活動として、たとえば文化と同じように国が援助すべきだという意見は、一考の価値があるだろう。

リベラシオン紙の13日の理事会でロスチャイルドは、週刊誌ヌーヴェル・オプセルヴァトゥールの編集長ロラン・ジョフランをリベの社長に抜擢し、彼に再生案を再考させると発表した。従業員側がそれに回答を出すのを待って、決定は来週の理事会に見送られた。先の見通しはまだ全然見えない。

❖2006年11月21日
中学生の声

11月16日、教育基本法改正案は衆議院本会議で、与党の単独採決によって可決された。タウンミーティングの「やらせ」が露呈し、いじめによる自殺、文科大臣への自殺予告通知といった異常な事態がつづく中、野党全党が早急な採決を避けるように要請したにもかかわらず、である。「国民の声」偽装の実態調査の結果が公表される前に、急いで法案を通そうとしたのだろうか、と思っていた矢先、すごくショッキングなニュースが流れてきた。札幌の中学生が自分たちで改正案を読んで検討し、愛国心を強制するようような基本法には反対だという意見書を安倍首相に送ったところ、「今回中学生が安倍総理に送った意見書は一体何だ。お前ら学校はどんな教育をしているのか」という「“脅迫”ともとれる」匿名のメールが届いたというのだ。http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20061117&j=0022&k=200611176471

匿名の非難中傷と脅迫は密告と同様、言論の世界におけるもっとも卑劣な行為だ。学校に対して抗議したいなら名乗るのが、責任あるふつうの人間の態度だろう。それに、中学生たちが自発的に考えた意見が気にくわないので、「お前ら学校はどんな教育をしているのか」と学校を非難するこの匿名の人は、学校は生徒にひとつの考え方を教えるべきだ、そして生徒は学校が教えたとおりに考えるはずだ、と確信しているようだが、中学生にだって思考・言論の自由はある。日本政府が1994年に批准した国連の子どもの権利条約には、未成年の言論の自由が定められている(12条第1項「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする」http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/zenbun.html

この札幌テレビのニュースでは、前日ふつうにインタビューをする約束をしたのに、メールが届いたために、中学生の顔を出すことができなかったと述べている。匿名メールがいつ、誰あてに届いたかや、全文が報道されていないため、「脅迫ともとれる」の内容がわからないのだが、生徒の身元がわかったら本人や家族がいやがらせを受ける危険性があることを、学校側は心配したのだろうか。もし脅迫的な内容だとしたら、政府案に中学生が反対意見を述べただけで学校が威嚇を受けるという、ゆゆしき事態だ。いずれにせよ、「国民の声」をききたがっていた政府は、この自発的な中学生たちの声に誠意をもって答えるのが「教育的」な対応だと思うのだが、そんなニュースはいっこうに流れてこない。

そもそも、中学生たちが首相に意見書を送ったというニュースは、ほかのテレビや大手全国紙では報道されなかったようだ。北海道新聞の記事によると、中学生たちは、教育基本法をつくったメンバーのひとりの母校の生徒で、安倍首相に「本当に私たちの将来のことを考えてくれていますか? 返答をください」と訴えたという。フランスではときどき、市民が大統領に訴えの手紙を送ったというニュースが報道されて反響をよぶ。大統領は必ず返信を書く。このいわば「直訴」は、自分を代弁してくれる組織やメディアとのつながりをもたない一介の市民の叫びだからだ。だからこそ、中学生たちの真剣な行動を踏みにじりかねない卑怯な匿名メールに対して、わたしたちは厳しい態度を表明し、彼女たちに「いやがらせメールに傷ついたりしないで、自分で自由に考えつづけようね」と暖かい支援の声を届けるべきではないだろうか。

江戸時代、お上に対する唯一の陳情手段である直訴をする農民は、自分の命を捨てなければならなかったが、21世紀の日本では、誰もがいやがらせを受けることなく首相に意見を言えるはずだ。首相と政府、議員、メディア、そして多くのおとなに対しても、札幌の中学生たちといっしょに問いたい。

「本当に子どもたちの将来のことを考えてくれていますか?」

❖2006年11月28日
女性指導者の時代?

フランスの政治地図には大異変が起きている。11月16日、社会党の党員投票の結果、セゴレーヌ・ロワイヤルが60%以上の票を得て、来年の春に行われる大統領戦の候補者に決まった。大統領候補の志願者のあいだで、投票に先だって公開討論会(テレビ中継つき3回)が行われたのは、フランスでは初めてのこと。そして、政権をとる可能性がある主要政党が女性の公認候補を立てるのも、フランス史上初である。さらに、ロワイヤルが候補者になったこととそのプロセスは、これまでのフランス政治の伝統をくつがえす新しい要素にみちている。
 というのも、昨年10月の日記「マドンナはもうごめんだ」で書いたように、ロワイヤルが大統領戦への出馬をほのめかした時点では、党内の男性政治家から「美人コンテストじゃないんだ」といった発言が出たほど、この国の政界は男性優位気質で、指導者として彼女が大統領選に出馬する「正統性」は認められていなかったのだ。そんな状況から数か月足らずのあいだにロワイヤルが有力候補の座に躍り上がったいちばんの理由は、彼女の「人気」だ。メディアは「セゴレーヌ」に白羽の矢を立てて頻繁に報道し(バカンス時には、大衆的写真週刊誌にビキニ姿を隠し撮りされ)、大統領選を「サルコジ対ロワイヤル」の二者択一にしぼった世論調査が繰り返され、サルコジ内相をしのぐほどの有名・人気政治家の地位が確立された。

一方、ロワイヤルは「未来への願望」と題する自分のサイトを通して、新しいタイプの政治を主張した。「エリートによる上からの政治」ではない、人々の生活に身近で具体的な政治。「民衆」の声をきき、意見をとり入れようという「参加型民主主義」を強調したのだ。政治とは理念や社会のビジョンを核に行うものだと信じる人々は、ロワイヤルのアプローチは大衆迎合主義(ポピュリズム)で理念に欠けると批判したが、彼女の姿勢は多くの人々に新鮮なものとしてアピールし、人気はどんどん高まった。「非行少年は軍隊が指導する機構で更生させよ」「学区制を緩和せよ」といった爆弾発言は左翼系の人々にショックを与えたが、保守的な層を含めて広い支持を受けた(「レッドカード」参照)。

社会党は候補者を決める前に、大統領選に向けての政策プログラムを討論と投票で定めていたが、それに含まれない(ときには矛盾する)アイデアをメディアに向けて発表するロワイヤルのやり方に、ライバルの候補志願者をはじめ苛立った党員も多かった。でも、彼女の高い人気が持続するのを見て、地方連盟長など有力な政治家が続々とロワイヤル支持を表明し、党内での力関係もロワイヤルに優勢になった。

2002年の大統領選第一次投票でジョスパンが敗北して引退した後、社会党はその失敗の反省と分析、再構築の作業をほとんどしないまま、思想的にも際立ったリーダーシップをとる者がいなかった(ファビウス元首相はEU憲法条約の国民投票の際、党の決定に造反してノンを掲げ、より左の政策を主張したが、党内でも一般にも人気が得られなかった)。「政治家なんて右も左も私たちのことを考えてはいない」という政治不信が高まり、国民の政治離れが進む中、女性のロワイヤルは「新しさ」と「他の政治家との違い」を体現することに見事に成功した。彼女は国立行政学院(ENA)を出た超エリートで、ミッテラン大統領時代から高級官僚と大臣の職についてきたのだが、家族省、環境省、教育省など従来の「女・子ども向け」分野だったのが、かえって幸いしたようだ。

「生活に身近な政治」や参加型民主主義は興味深い視点だが、ロワイヤルの発言を聞いていると、それが選挙戦略にすぎないのではないかという懸念が残る。言葉づかい、世論調査との関連、メディアの使い方などに、広告会社やスピン・ドクター(政治家や党派の情報操作アドバイザー)の息づかいがありありと感じられるのだ。エリートコースを進んだ彼女が「民衆、民衆」と連呼するのもデマゴギーぽく聞こえるが、ロワイヤルが多くのフランス人に「うけている」のは紛れもない事実であり、その意味でフランスにも、理念よりイメージが決定的なスペクタル政治が浸透したといえるだろう。

11月26日の大統領候補公認式で、ロワイヤルは社会党員から近年にない熱狂的な喝采を受けた。ひょっとしたら初の女性大統領になるかもしれない「フェミニスト」候補者に、つい最近まで男性優位主義だった男たちが拍手を送るシーンにはちょっと爽快な気分もしたが、彼女の人気を支えるのが女性たちであることはたしかだろう。未来の社会ビジョンを構築する思想が不毛な今、環境、フェミニズム、マイノリティ擁護、参加型民主主義といったテーマは人々の心を引く。これらをちりばめた「新しい政治」を練るロワイヤルの戦略は巧みだ。彼女の「未来への願望」というスローガンは個人主義的で、今の時代をよくあらわしている。もうひとつの「公正な秩序」というスローガンには、彼女の強権的な面が滲み出ているとわたしは感じるが、これも多くの人にうけている。「願望」と「秩序」を体現するのはママン(お母さん)、やっぱり「母性的美人(マドンナ)」の女性指導者の時代がきたってことなのだろうか。

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